吹く風

カテゴリ: 生活

 前々から思っていたのだが、ぼくはマスクをはずす時がイヤだ。確かに呼吸はしやすくなるし、耳の痛みは気にならなくなるんだけど、はずした時の何か貧乏臭く感じるにおい、あれがたまらなくイヤなのだ。
 そのにおいのせいで、ぼくのいる場所だけでなく、世の中全体が臭く感じてくる。すれ違う人の香水のにおいも、焼肉屋のにおいも、すべて貧乏臭フィルターを通してにおってくる。嗅覚をやられると感覚もおかしくなるのか、夜の風、車の灯、街の声、みんな嘘っぽく感じるようになる。
「この世は終わった」という気持ちにもなってしまう。
 鼻の周りの肌荒れは酷くなるし、やはりマスクをしない生活がいい。

 数年前、それまでまずまずだった視力が急に落ちてしまったことがある。運転中に見づらくなったのだ。元々乱視だったので、その影響かと思ったのだが、乱視の見づらさとはちょっと違う。説明しづらいが、要は前の車のナンバーが見えにくくなったということだ。まあ長い時間(1時間近く)運転した場合だけだが。

「このままでは危ない」と思ったぼくは、眼鏡を買うことにした。最初は「安いのでいいや」と激安のメガネ店で、プラスチックのフレームのヤツを買った。しかし、帰ってからかけてみると、どうも似合ってないような気がする。というか、おもちゃのメガネをかけているように見えるのだ。とはいえせっかく買ったものだからと、しばらくそれを付けていた。

 それから数週間後、たまたま行ったコストコでメガネのセールをやっていた。『有名ブランドのフレームが半額』と書いているではないか。なるほどRay-Banなどのブランド物が半額になっているし、レンズも安い。おもちゃのように見えるメガネより、ブランド物のちゃんとしたヤツがいいに決まっている。しかもそのブランド物が、普通のメガネ屋さんのおよそ半額、つまり一本分で二本買えるということだ。ということで、運転用と仕事用の二本買うことにした。

 さてそのメガネ、運転用の度の強い方はしばらくして慣れたのだが、仕事用の度の軽い方がなかなか慣れないのだ。スマホを見る時は外さないと気分が悪くなるし、書類を書く時は字が変になるし。そのうち仕事中はメガネをかけないようになった。 
 しかし、そうなるとせっかくのブランドフレームがもったい。ということで、レンズを運転用に替えることにした。

 早速コストコに行った。ところが、そこでまたいいフレームを見つけたのだ。迷った挙句、気に入ったメガネを二本買う。もちろん当初の目的のレンズ交換も行った。結局、激安メガネ店のヤツと合わせて、ぼくは五本のメガネを持つことになった。その五本(実際はブランド物の四本)をその日の気分で着かえていた。

 それから数年が経った。今はどうしているかというと、メガネをかけてない。というか、メガネをかける必要がなくなったのだ。前にも話したが、ぼくは現在スワイショウという運動を朝晩やっている。スワイショウの解説本に書いてあったが、この運動、視力回復にも効果があるらしい。始めて十カ月ほどになるが、運転中も、もちろん仕事中も、メガネをかけないでもよく見えるようになったのだ。乱視も改善されているみたいだし、先月の健康診断でもいい数値だった。

 この歳(昨日で64歳になった)になっても老眼鏡は必要ないし、よくよくぼくはメガネに縁がないようだ。さて、使わなくなった五本のメガネ、どうしよう。

 毎朝ぼくは、嫁さんを職場まで送って行っている。国道バイパスを使い、途中から抜け道を通って嫁さんの職場まで行く。所要時間は25分くらいだ。嫁さんを下した後、すぐに家に帰る。所要時間は同じく25分。
合わせて50分。それから準備をして自分の職場に出かける。
 一連の流れを合わせると、およそ1時間15分になる。これでぎりぎり職場に着く。つまり、この時間が少しでも狂うと、例えば道が渋滞などすると、ぼくは確実に遅刻するわけだ。

 今日ぼくは、家を10分早く出て、遠回りして嫁さんを送って行った。その理由は今週の水曜日に起きた出来事にある。
 その日その抜け道を走っていると、途中から流れが悪くなった。普段あまり車の通ってない道なので、「もしかして事故かな?」と思った。もしそうだったら困ったことになる。その道は一本道で迂回ができないのだ。「どうしようか?」と思ったがどうにも出来ない。仕方なくその悪い流れに従って進んで行った。
 本線が見えた時、ようやく渋滞の原因がわかった。その道と本線が交差する位置にあるのは総合体育館だ。そこでは今、世界体操が行われている。そのことをぼくはすっかり忘れていたのだ。つまり渋滞を作っていたのは、大会関係者の車や観客の車だったというわけだ。もしかしたらそれらの中には、内村選手や橋本選手を乗せた車があったかも知れない。
 それはともかく、その日ぼくは遅刻したのだった。

 今朝、その抜け道を避けて遠回りした理由は、今日が土曜日であったことと、大会があと二日しかないこと。それでぼくは渋滞を予想したのだ。
 しかし、実際はどうだったのだろうか?もし予想が外れて渋滞してなかったら、ぼくは時間を10分損したことになる。

とうとう11月か。
あと一週間だ。
前にも言ったが、このブログを終えたあとは、気の向いた時にしかブログを更新しないつもりにしている。
それは、今の『もう目は閉じない』の更新状況を見てもらったらわかると思うが、そのペースでやるつもりだ。

とりあえず休みたいのだ。
免許証の更新をしなければならないのですが、寝不足が蓄積してしまい、ちょっと視力が落ちているような気がする。
そこで睡眠を充分にとって、視力を回復させようと思っている。
最近の免許証更新は誕生日を超えてもいいから、それができるのだ。

で、視力は何とかなるものの、問題は講習だ。
昨年一度スピードオーバーで捕まっているから、1時間講習を受けなければならない。
これがきつくてならない。
事故現場の悲惨な写真を見せられたり、事故死亡者の遺族の声を聞かされたりして、マイナスのイメージを植え付けられる。
それを見るたびに、「ここの人たちは、本当はみんなを運転させたくないんじゃないのか?」と思ってしまう。

とにかく、こういうのは早く終わらせたい。
そのためにも、早く視力を回復させなければ。

ある本で読んだのたが、占いはあまり見ない方がいいらしい。
その日が良ければ問題ないのだが、悪ければマイナス思考に陥りやすいのだそうだ。
それよりも神社でお参りして、「神様に頼んだから大丈夫」という気分でいたほうが、幸運が舞い込んできやすいらしい。

そういうわけでもないが、ぼくは『めざましテレビ』の星占いコーナーは見ないようにしている。
ぼくが見る時は、さそり座が良かったためしがないのだ。
さそり座はかに座や魚座と同じグループだから、特に悪い方にかに座とか魚座という名前が出ると、目を閉じ耳を塞いで、見聞きしないようにしている。
そういう時は決まって、さそり座が最下位なことが多い。

そういう努力をしていても、どうしても聞いてしまうことがある。
そういう時も最下位だ。
そうなったら、ぼくはすぐに新聞の誕生月占いを見る。
そこにいいことが書いてあったら、プラスマイナス0で問題なくなるからだ。

問題は、どちらも悪かった時だ。
この時の脳内は、すごくマイナスになっている。
気にするまいと思っても、すぐに意識がそちらに行ってしまうのだ。
そうならないために、念仏を唱えたり、「大丈夫」だとか「ありがとう」だとか、とにかくプラスの言葉を繰り返し口にしている。
気持ちと闘うというのは、けっこう重労働だ。
ようやくそのことを気にしなくなった時は、かなり疲れている。
そういう理由から、ぼくは朝の星占いを極力見ないことにしているのだ。

昨日から躍起になって部屋の掃除をしている。
一昨日買った本に、部屋を掃除すると運が良くなると書いてあったのだ。
そういうことを書かれると、単純なぼくは、すぐにそれを実行してしまう。
だが、掃除のほうは、そう単純にいかなかった。

何せ、5年以上も放っておいたのだから、その汚れたるや半端なものではない。
とにかく綿ぼこりがすごい。
それだけでクリーナーの紙パックが一杯になってしまったくらいだ。

特に酷かったのが開けっぱなしにしている扉の裏だった。
そこの綿ぼこりはこびりついて、クリーナーでいくら吸っても取れなかった。
しかたなく下敷きで削り取った。
その時のヨリヨリという感触が小気味よかった。

本を片付け、CDを片付け、機械をクローゼットや物置に押し込んだ。
残ったものはすべてゴミとして処理した。
市が販売しているゴミ袋(大)三つ分のゴミとなった。
一般ゴミは月曜日だが、生ゴミではないので、それまでバルコニーに置いておけばいい。

ということで、何とか掃除は終わった。
この部屋はこんなに広かったのかと思ったことだった。
今までは何か痒かったが、それも解消されたので、これからはこの部屋で寝ることも出来る。
あとは運が良くなることを待つだけである。

明日は床屋に行くので、早く寝ないと。
前にも書いたが、その床屋は先生と姉ちゃんの二人でやっているのだが、最近は先生があまり出てこない。
そういうことなので、ほとんど姉ちゃんが一人でやっている状態なのだ。
それゆえに一番に駆け込まないと、終わるのが昼になってしまうのだ。

その床屋は、歩いておよそ10分の場所にある。
そこまで歩かなくても、もっと近い場所に床屋はある。
だが、どうしても10分歩いてしまう。
その理由は、中学の頃からの行きつけだからだ。
だから「ああしてくれ、こうしてくれ」と注文しなくても、座っていればちゃんと希望通りの髪型になっているのだ。

他の床屋ではこうはいかない。
何ヶ所か癖のある髪を、いちいち説明して、さらにちゃんと言った通りになっているかどうかを確認しなければならない。
これでは、のんびり眠ることが出来ない。
眠ることの出来ない床屋なんて、ぼくは行きたくない。
だから床屋を変えない。

明日は6時に起きて神社に行き、しばらく歩いたあと家に戻り、シャワーを浴びてから朝食をとる。
その後、8時半に家を出て床屋に行くことになるだろう。
8時40分着か。
床屋はまだ開いてないが、1番乗りをしたがるお客はぼくだけではないから、もしかしたら他のお客と合致会うかもしれないなぁ…。
もう少し早く出るか。

ペンを持って仕事をしていると
中指にタコが出来ている。
これは中指とペンとの
絡み合いから生じたものだ。
靴ダコ、麻雀・パチンコダコも、
みんな理屈は同じこと。
異物との絡み合いから生じている。

心だって同じことで、
絡み合いの末にタコが生じる。
例えば妻の呼び名がそうだ。
付き合い始めた頃はいつも
呼び名に躊躇していたが、
今では「おい」ですませている。
絡み合いの末にこうなったわけで、
つまりは「おい」がタコなのだ。

倦怠期の予防のためにもこのタコは、
削ってやる必要があるのだが、
いったい「おい」という言葉の、
どこをどう削ったらいいのだろう。
今さら名前なんかで呼べないし。

昼頃、いつものように歩いていると急に雨が降り出した。
最初は小粒だったのだが、家に近づくにつれ、徐々に大粒のものに変わっていった。
そして家に帰り着いたとたん、稲光がして、数メートル先も見えないほどの大雨になった。

いつもは西側の窓だけを濡らすのだが、今日の雨は西側だけではなく、南側のベランダや北側の窓も叩きつけていた。
うちの東側は隣に面しているためにわからなかったが、この調子だとそちらも叩きつけていたはずだ。
ということは、今日の雨は全方向から叩きつけていたことになる。
つまり四方八方から風が吹いて、このマンションを攻めていたということだ。
さすがに台風の風は違う。

ぼくが中学生の頃に尊敬していたのは、東郷平八郎だった。
部屋の壁に日の丸を貼りつけ、その横に東郷元帥の写真を額に入れて、いつも拝んでいたものだ。
しかし、それも中学時代までで、高校に入り音楽を始めてからは、日の丸も東郷元帥も外してしまい、代わりに吉田拓郎やボブ・ディランのポスターを貼っていた。

社会に出てからは、さすがにポスターは貼らなくなり、また額に戻った。
だが、その時額に入れていたのは、東郷元帥の写真ではない。
竹久夢二の美人画であり、水墨画であり、般若心経であった。
仕事が殺伐としていたので、心を落ち着けるものを飾っていたわけだ。

その後しばらく何も貼ってなかったが、新聞屋さんからホークスのカレンダーをもらうようになってからは、それを貼るようになった。
けっこう大きなカレンダーだったので、見栄えもよかった。

ところが最近その新聞屋さんは、ホークスのカレンダーをくれなくなった。
というか、ソフトバンクに変わってから、手に入らなくなったのだろう。
いちおう年末にはカレンダーを持ってくるのだが、それは便所の壁に貼るような小さな風景カレンダーだ。

しかたなく現在は、防災情報マップなんかを貼っている。
地図は白黒もので色気がなく、さらに壁と同色ときているので全然見栄えがしない。
やはり色気のあるポスターを貼ったほうがいいか。
とはいえ、今さら拓郎のポスターなんかは貼りたくないし、もう売ってもないだろう。
そういえば、前にキャンディーズのCDセットを買った時に、プレミアムでポスターがついていたような気がする。
あれを探し出して、貼っておこうかな。

夕方、友だちから電話があり、飲みごとがあるので小倉まで送ってくれと言う。
土曜日なので、渋滞はないだろうと思いOKした。
予想通り渋滞はなく、小倉に入るまではスイスイ流れた。
ところが、小倉に入り、繁華街の手前まで行った時、渋滞に捕まってしまった。
今日は小倉で祭りをやっていて、メイン道路が通行止めになっていたのだ。

とはいえ、まったく動かないわけではなかった。
ノロノロだがちょっとずつ流れている。
その流れに乗って、繁華街を約30分かかって脱出した。
帰りは行き同様、スイスイ走れた。

さて、前々から言っているが、ぼくの車はエアコンが効かない。
ということで、出発から帰るまで、ずっと窓を開けていた。
スイスイ走っている時は、いい感じに風が入ってくる。
が、渋滞に捕まると、風は入らずに、熱気が入ってくる。
とはいえ窓を閉めるわけにはいかない。
窓を閉めると、さらに暑くなる。

そういうわけで、今日は小倉の繁華街の熱い空気を目一杯吸わせてもらった。
しかし、どうして繁華街というのは焼き肉のニオイがするのだろう?
帰りに戸畑駅前を通った時も、焼き肉のニオイがプンプンしていた。
そんなに焼き肉屋がたくさんあるわけではない。
ということは、きっとそれだけ焼き肉のニオイが強いということだろう。

焼き肉がダメな人には酷なニオイである。
中にはこのニオイを嗅いだだけで、吐き気をもよおす人もいるのだ。
昨今の商店街離れなんかは、こういったニオイも関係あると思う。
街にも消臭剤が必要になってくるなぁ。

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