吹く風

人生万事大丈夫

カテゴリ: 日記

1,
 このところ、ブログに過去の日記ばかり載せているが、別にネタに詰まっているわけではない。
 前にも書いたが、現在、文章の勉強をしている。その一貫として、やたら文字数が多い昔の記事を、読みやすく、わかりやすいものに書き換えていっているのだ。
 最初の記事とは、まったく違う内容になったものもあるが、いい勉強になっている。

2,
 一昨日、職場に支店長が訪ねて来た。
 およそ10ヶ月ぶりの来訪だ。

 彼はぼくを見るなり、
「しんたさん、えらく痩せましたねえ」と言った。
「ええ、痩せましたよ」と答えると、
「病気したんですか?」と聞く。
「いやいや、健康的、計画的に絞ったんですよ」
 と、健保からメタボ警告を受けていたこと、その対策のためにファスティングをやったこと、その結果がこれだ、ということを伝えた。
「それならよかった。いや、年配の方が痩せたのを見ると、すぐに病気と結びつけたくなるので、つい」

 今の体重に絞ってからこちら、「体を絞ったのか?」と聞かれたことはない。決まって「病気したのか?」と聞かれる。

 そのつど、痩せた経緯を説明しているのだが、それでも疑う人がいる。
 その疑う人のほとんどが、メタボ系の体をしているんですね。
「あんたこそ、そのボヤけた体をどうにかしろ」
 と、ぼくは心の中で思っている。

 3月の思い出といえば、高校1年時の3月に受けた追試に尽きる。
 ぼくは元々、理科系の教科は得意ではなかった。
 小学生の頃は実験が嫌いでサボったこともあった。
 中学生になっても同じで、成績はよくなかった。おかげで、高校受験の時、志望校を1ランク下げなければならなかった。

 その状態で入った高校も当然理科系の成績は芳しくなく、生物、化学両教科はいつも欠点前後を彷徨っていた。特に、生物は夏休みの宿題であった植物採集を提出しなかったため、教師から反感を買っていた。

 1974年3月、学校から帰ってきた時、電話が鳴っていた。慌てて出てみると、生物の教師からだった。
「しんた君かね。生物のFだけどね」
「はい」
「君には追試になったよ」
「えっ!?」
「3学期の成績はまあまあだったんだけどね、年間通しての成績がよくなく、夏休みの宿題も提出してなかったのでね」
「範囲はどこですか?」
「この1年で習った全てだ」
 目の前が真っ暗になった。『来年も1年生』という思いが駆けめぐった。
 それから1週間、必死になって、『ミトコンドリア』や『デオキシリボ核酸』といった、わけのわからない言葉と格闘したのだった。

 1週間後、追試会場に行くと、20人ほどの生徒がいたが、そのほとんどか英語や数学といった主要科目で、生物で追試を受けているのは、2人しかいなかった。その人も、植物採集を提出しなかったと言っていた。

 1週間のヤマが当たり、追試は高得点でクリア出来た。が、その後、再び生物教師から連絡が入った。
「追試の答合わせをやるから、来なさい」
 仕方なく、ぼくは学校に行き、面白くもない生物の授業を2時間受けたのだった。

1,天皇誕生日
 今でもぼくは、天皇誕生日というと4月29日を連想してしまう。それはおそらく、その時代は、その日に休んでいたからだと思う。
 ぼくは社会に出てから、祝祭日に休めない仕事についた。そのため働き盛りだった平成の、天皇誕生日は休みではなかった。同じような仕事をしている令和の現在も、天皇誕生日は休みではない。だから、今日が天皇誕生日だと言われると、どうもピンとこない。

2,スエット上下
このカッコウのまま外に出たら
おっさん臭く思われるだろうな、
と思いながらもパジャマ代りの
スエット上下でスーパーに行く。
実は秋から冬にかけて着る服は
通勤着以外それしか持ってない。
スーパーに行く程度でわざわざ
それに着替えるのも馬鹿らしい。
生活の中にあるスーパーだから
生活感のある衣装がお似合いだ。
─とその心持ちがおっさん臭い。

3,静電気の人生
ぼくたちは静電気の人生を
パチパチ歩いているんだね
どこかで拾った電気の種を
ひそかに身中に貯め込んで
人に触れると火花を散らし
互いに痛みを与え合うんだ
ぼくたちは静電気の人生を
パチパチ生きているんだね

4,いい具合の図
スーパーの入口横にある男子トイレ、
六台の小便器のうち五台が使用中だ。
坊主の子供、黒髪の学生、一つ空き、
茶髪の青年、白髪の中年、禿げ老人、
入口側から年齢の順番に並んでいる。
もし空いている所にぼくが入ったら、
このいい具合の図がくずれてしまう。
誰かが抜けるまで待っていようかな。

5,買い物の合間
このお店の天井に貼り付いた
何列もの照明から漏れている
光の滲みが不器用に絡みあい
ゆらゆらゆらゆらゆらゆらと
いいあんばいに揺らいでいる。
まるで春陽の射す川の水面に
心浮べているような気がして
とっても気持ちがいいのです。

 15分早い柱時計が、コチコチと鳴っている。そして1時間おきに、15分早い時報を告げる。
 わざとそういうふうに設定しているのではない。何年かに一度は、ちゃんと時間を合わせているのだが、自然と早くなっていって、いつも15分早くなると落ち着くのだ。

 この柱時計の時報には、いくつかの楽曲が使われている。例えば『いとしのエリー』であったり、例えば『中央フリーウェイ』であったり、ぼくが学生の頃に流行った歌がメインになっている。
 そういう懐かしい歌をFM音源が、淡々と奏でているのだが、その音源で聞くと、なぜか学生の頃の楽しかった思い出ではなく、この柱時計を買った結婚当初のかなりきつかった思い出が蘇る。

 しかしこの柱時計は、何で15分早くなるのだろう。嫌な思い出を早く忘れようとする、ぼくの念いが為す技なんだろうか。それとも「過去を早く打ち切って、今を大切に生きなさい」という神さまの啓示なんだろうか。

「大丈夫」
 この言葉を拾ったのは、三十歳になるかならないかの頃だった。
 些細なことで罪悪感に苛まれ、数ヶ月立ち直れなくなったことがある。心は黒く重い雲に覆われて、ふさぎ込む日々が続いた。魔物か何かに取り憑かれてでもいるのか、この人生をあきらめようかとさえ考えたこともある。そういう時だった。

 ある日そんなぼくを見かねた運命が、すべては大丈夫なんだと、ことあるごとにこの言葉をぼくに投げかけてきたのだ。
 最初は見過ごしていたぼくも、ようやくそのことに気づき、素直にこの言葉を受け取った。おかげで何とかその状態から抜けだすことができたのだった。

「大丈夫」
 そうだった。あの時運命は、ぼくの人生に太鼓判を押してくれたのだった。今さら何をぼくは悩んでいるのだろう。

 前に勤めていた会社に、何かあるたびに『打ち上げ』と称して、鉄板焼きパーティをする上司がいた。場所はその上司の知り合いの店で、上司はそこでいい顔をしたかったわけだ。
 ま、それは別にして、その店の鉄板焼きはかなりおいしく、量も多く、満足に値する店だった。

 そのパーティ、ぼくを含めて幾人かがいつもイライラしていた。その上司は自分が下戸というのに加えて、我がよければいいという人間だったので、酒飲みへの気配りが全然出来なかったのだ。
 せめて前日にでも「打ち上げするぞ」と言っておいてくれれば、車に乗らず電車やバスを利用して出勤してきたのに、車で出勤してきているその日に、突然「今夜打ち上げね」なんて言い出すもんだから、酒飲みとしては面白くない。鉄板焼きの味をさらに引き立てる、生ビールが飲めないのだ。
「車を置いて帰ればいいやん」
 と、気配りの出来ない上司は言っていた。しかし会社付近は車上荒らしが多いのに、車を置いて帰ることなんて出来ない。

 とはいえイライラしながらもぼくは、そのパーティに何度も参加した。気配りの出来ない上司へのイライラよりも、その鉄板焼き屋の味が勝っていたからだ。

 はい、学生時代によくやりましたです。「クラスの女子の中で誰が一番きれいか?」などというランク付けをね。いつも一番は決まっている。きれいな人の順位なんて整形でもしない限り、そうそう変わらんものですよ。

 そのことに気づいたぼくたち男子は、それでは面白くないというので、「女子の中で誰が一番性格が悪いか?」というランク付けを始めたんです。誰もが、生意気なことばかり言っている、あいつが当然選ばれると思っていたのです。

 ところがです。選ばれたのは、なんときれいランキング一位の彼女だったのです。これはちょっと意外だったですね。何でこういう結果になったのだろう。

 今にして思えば、彼女はあまりにきれいすぎて、ぼくたち男子にとって彼女は、口を利くのも憚られるような存在だったのです。つまり彼女と喋った人はあまりいなかったわけで、実は彼女の性格なんて、ぼくたち男子はよく知らなかったのです。見た目だけで、勝手に冷たそうだと判断していたわけですね。

 ま、そんなことよりも、あんなランク付けに必死になっていた、ぼくら男子の性格の方が悪かったのではないか。と、今のぼくは考えるのであります。

1,
 喜多方ラーメンを食べに行った時の話だが、あの時は東京から喜多方までJRを利用した。
 上野から新幹線に乗り、郡山で下車。そこから磐越西線に乗り換え喜多方に向かった。
 当初、東武日光線で会津まで行こうかと思っていた。ところが調べてみると4時間半ほどかかる。「そんなにかかるのならJRの方がいい」ということで、新幹線ルートを選んだのだが、乗り換えの待ち時間などを含めると、時間はあまり変わらなかった。

2,
 新幹線の中で、隣に座っていた男性から声をかけられた。
「どちらまで行くんですか?」
「郡山で降りて、喜多方に行きます」
「どちらから来られたんですか?」
「北九州からです」
「えっ、北九州から!?」
 よほど九州人が珍しかったのか、驚き方が尋常ではなかった。
 郡山で降りるまでの短い時間、その方と話をしていた。仙台の方だった。出張で東京まで行っていて、その帰りだという。
 降り際に、
「仙台も良い所ですから、ぜひ来て下さい」
 と言われ,
「はい」
 と答えておいた。
 あれから30年経つのだが、いまだにその約束は果たせていない。

3,
 郡山では、二時間ほど待たされた。まだスマホなどなかった時代だ。友人と二人、することもなくボーッとしていた。

4,
 郡山のホームで汽車を待っている間、ぼくは「ここは空気が違うな」と思っていた。東京は北九州と変わらず、晩秋の空気だったのだが、郡山は既に冬の空気なのだ。『夜空ノムコウ』の歌詞の中にある、「冬の風のにおい」がしていたわけだ。
 北九州と東京は、さほど緯度が変わらないのでわからなかったが、さすがに東北だと緯度が変わってくる。そのため空気も違ってくるのだろう。

5,
 喜多方に着いた日の夜、K君の家族と駅前の居酒屋に行った。10時頃まで飲んで、駅前のホテルに泊まった。
 翌午前中、馬車に乗り市内観光。それを終えてから待望の喜多方ラーメン。その後、バスで山形との県境にある温泉まで行き、そこで泊まった。

6,
 そこに行って、改めて東日本は日が暮れるのが早いということに気がついた。
 確かに北九州から東京に出た時は、時差を感じてはいた。しかし街全体が明るく、人通りも多いので、そこまでの違和感はなかった。
 喜多方に着いた日もそうだ。泊まったのが駅前のホテルだったため、街は明るく、賑やかだった。だからそれは感じなかった。
 しかし、その日泊まった場所は山手で、街灯が少なかった。そのため午後5時には真っ暗になっていた。さらに周りは人通りがなかったため、さながら深夜のようだった。

7,
 その温泉宿で驚いたのが、道沿いにある立て看板だった。そこにはなんと『熊注意』と書いていたのだ。
 せっかく森閑とした、温泉宿の周辺を散策しようと思っていたのに、熊に襲われたら大変だ。しかたなく、ぼくらは宿で笑点を見たのだった。

8,
 40代に入ってから、ぼくは頻繁に山間部のドライブをするようになるのだが、例えば『鹿注意』や『猪注意』の看板は見たことはあるものの、『熊注意』は見たことがない。
 最近見た看板は『サルに注意』だ。もっともこれは市街地に貼ってあったのだが。

1,
 一昨日、お客さんの家に行っている時に、スマホが鳴った。
 出てみると、信販会社からだった。
「〇〇信販ですけど、MSさんですか?」
「そうですけど何か?」
「保険の件でお電話差し上げたんですけど」

 これが家の中だったりすると、
「えっ、MS?違いますよ。こちらはしろげしんたです」
 と答えたり、20年前同様にイヤな客対応をするだろう。だが、さすがにお客さんの家ではそういうことをすることができない。
 しかたなく、
「すいませんが、今仕事中でお客さんの家にいるんですけど」
 と、普通の対応をしておいた。

 信販会社は、クレジットカードの申込みをする時に、個人情報をしっかり書かせるわけだから、当然こちらがどういう会社に勤めて、どういう仕事をしているのかを知っている。ということは、こちらの業務時間もわかるはずだ。
 電話がかかったのは、その業務時間中だったのだ。会員だからといって手当たり次第に電話をかけるのではなく、そのへんを考慮してほしいものである。
 自分たちも客商売だろう。もし業務中にそういう電話がかかったら、どんな気持ちになるかわかるはずだ。

2,
 保険といえば、昨年の誕生日以降、介護保険が給料引きではなくなった。
 誕生日前に、市の方から「そのうち年金で引き落とすから、当分の間、自分で払ってくれ」といった旨の連絡をもらった。さっそく手続きをし、既に数ヶ月分払っている。
 しかし、65歳を過ぎると、どうしてそれまでの約5倍の保険料を払わなければならないのだろう。
 高くなった光熱費も加わり、我が家の家計に大きく響いている。

1,
 昨日の夕記事で、大音響のことを書いた。一昨日の昼12時頃から音が鳴り出したわけだが、昼間は外から自動車や、近くの工場や、工事の音が聞こえるため、そこまで際立っていたわけではなかったようだ。大騒ぎになったのは、外の喧騒が終わってからだった。

 実は一昨日の昼間、急にお腹の調子が悪くなった。早退するほど酷くはないのだが、なぜか気になる。そこで昼休を利用して、薬を飲みに家に帰ろうかと思っていた。が、ほどなくお腹の調子は戻り、家には戻らなかった。

 もし、その時家に帰っていたら、ああいう騒ぎにはなってなかったはずだ。
「お腹の調子が悪くなったのは、きっと『家で大変なことが起こっているぞ』という虫の知らせだったに違いない。その知らせを聞き入れて、家に戻ればよかった」
 と後悔する一方で、
「しかし、そんな虫がいるのなら、知らせるよりも、その音を止めてくれればよかったのに」
 とも思っていた。

2,
 今朝のこと。
 いつものように、嫁さんを会社に送って行った。
 普通、嫁さんの会社に行くのは国道バイパスを使う。他にもいくつか道があるのだが、バイパスが一番早く着く。ということで今日もバイパスを走っていた。
 渋滞もなく、車は快適に進んだ。
 隣の区にさしかかった時だった。なぜかぼくは脇道を通りたくなった。少しでも車の流れが悪い時はそうするのだが、今日は流れがいい。ということで、今日は脇道に入るのはやめておいた。
 ところが、そこから1キロほど走った所で急に流れが悪くなった。信号から先が進まないのだ。普段なら1回で通り抜ける信号を、2回目の青信号でも抜けられなかった。結局信号を3回待って、ようやくそこを抜けることが出来た。さらにその先も信号2回待ちだった。おかげで、嫁さんは10分ほど遅れて会社に入ったのだった。

 こういうのも虫の知らせになるんだろうな。
素直にその知らせを聞き入れていたら、遅れることはなかったのだ。

3,
 とはいえ、こういう『虫の知らせ』体験が立て続けに出来たぼくは、幸せ者である。なぜなら、ブログのネタに出来たわけだからだ。
 もしかしたら、これら一連のことは、
「このことを書け」
 という、虫の声だったのかも知れない。

 昨日午後7時を過ぎた頃だった。ズボンの後ろポケットに入れているスマホから、着信音が聞こえた。
 スマホを取り出し見てみると、マンションの管理会社からだ。理事会の打ち合わせかと思い電話を取った。
「もしもし」
「しんたさんですか?」
「はい。どうしました?」
「理事長から連絡を受けて、電話してるんですが、今しんたさんの家から大音響が鳴り響いているらしいんですよ」
「えっ、誰もいないはずですが。本当にウチで鳴ってるんですか?」
「どうもそうみたいなんです」

 ダッシュで家に戻ると、玄関前に数人の人がいた。
「お宅から、大きな音が聞こえるんですが」
「電話があったんで、慌てて戻って来たんです」
 と鍵を開け、中に入ってみると、リビングの方から音楽が聞こえる。

 リビングに入ると、かなりの大音響だ。音はテレビ下に置いてあるホームシアタースピカーから流れていた。さっそくぼくはスピーカーの電源を切り、表に出て、皆にわびを入れた。

「やっぱりここから音が出ていたんですね。何の音だっんですか」
「ブルートゥースの音です。出かける時には鳴ってなかったんですけど。いつから鳴ってましたか?」
「昼の12時頃から鳴ってましたよ」

 いったんぼくは会社に戻った。そこで着替えた後、近くの店で菓子折を買い、マンションに帰った。
 そのあと、玄関前に集まった人たちの家に行き、「ご迷惑をおかけしました」と一軒一軒謝って回った。

 家に帰ってから、原因を調べてみた。
 音源は離れた部屋に置いてあったiPad だった。AppleMusicにかなりの量の音楽を入れているのだが、その音をテレビ横に置いているAmazonAlexaが拾ったのだ。ウチはAlexaをテレビのホームシアタースピーカーに繋いでいるため、そこから音が出ていたわけだ。

 iPadとAlexaとの間でペアリングはしているが、昨日の朝はAppleMusicを起動させてはいなかった。一方のAlexaの方も、最近Bluetoothの受けが悪く使ってなかった。
 きっと何かの拍子に、互いが反応しあったのだと思うが、どういう拍子でそうなったのかがわからない。

 今後、出かける時には、火の元だけではなく、音にも注意しなければならない。面倒な時代になったものだ。

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