吹く風

人生万事大丈夫

2023年02月

2002年2月28日の日記です。

 午前中、一本の電話が入った。
「もしもし、Iですけど」
 知り合いのI刑事からだった。
「署の洗濯機が壊れたっちゃねえ。引き取りしたやつでいいんやけど、使えるやつないかねえ?」
「さあ?確かめてないから、使えるかどうかはわかりませんけど」
「まあいいや。うちの者行かせるから、よろしくね」

 今日は商品が大量に入荷する日で、朝から大忙しだった。気がつけば、商品の検品や荷出しをしているうちに午後になっていた。
 仕事が一段落し、ちょっと一息入れていると、「しんたさーん、お客さまでーす」と呼び出しがかかった。行ってみると、体格のがっしりした坊主頭の男性がいた。
「しんたさんですか?」
「はあ」
「Iさんの紹介で来ました」
「ああ、聞いてます」
 そしてぼくは、坊主刑事と一緒に大型ゴミを捨ててある場所に行った。
 そこにはもう一人の刑事さんがいた。顔は若いが、眼つきの厳しい人であった。ぼくの顔を見るなり、眼つき刑事は
「あ、お世話になりまーす」と挨拶をした。
「こちらこそお世話になりまーす」と、ぼくは返した。
 そして、使えそうな洗濯機を探した。大型のゴミ捨て場は、外部からの投棄を防ぐために、金網で囲ってある。
畳にして四畳半のスペース。その狭い金網の中を、大柄の男が三人でゴソゴソやっている図というのは、異様なものがあっただろう。

 この異様な風景を、遠くから眺めている人がいた。よく見ると、うちの部門の取引先の人であった。
ぼくが気がつくと、その人はこちらに近づいてきた。
「こんにちは。しんたさん何やってるんですか?」
「実は・・。あ、ここでは何だから、ちょっとこっちに来て下さい」と、他の場所に移動した。
「どうしたんですか?」
 ぼくは声を潜めて「あの人たち刑事なんですよ」と言った。
「え!!何かあったんですか?」
「ちょっと前に殺人事件があったでしょ」
「え?そんなことありましたかねえ」
「あったじゃないですか」
「あ、ああ」
「それでその殺人現場になったのが、うちが洗濯機を配達した所だったんですよ」
「え、そうなんですか!!」
「その犯人がまだ捕まってないんですよ。それで、何か手がかりはないかと、事件の前にうちで引き取った洗濯機を調べてるんです」

 ぼくたちがヒソヒソ話をしていると、坊主刑事が「しんたさーん、これ持って行きます」と言った。
「ああ、それですか。どうぞ持って行って下さい。お役に立ててよかったです。ご苦労様です」
 ぼくは隣にいた取引先氏に「どうやらあれやったみたいですね」と言った。
「そうみたいですね」
「そういえば、あの洗濯機には髪の毛がついとったなあ・・・」
「・・・」
 取引先氏は無口になってしまった。かなり信じ込んでいる様子で、顔が引きつっているようにも見えた。
 それを見て、ぼくは何か申し訳ないような気分になり、「冗談ですよ。冗談」と言い、いきさつを説明した。取引先氏はやっと笑顔を取り戻したようだった。
 きっと真面目な人なんだろう。悪いことしたなあ。

2003年2月27日の日記です。

『早起きは三文の得』と言われるが、ぼくは早起きして得した覚えはない。
 休みの日に遅くまで寝ていると、時間を損した気になることはあるが、早く起きたからといって決して得したという気にはならない。眠い目をこすって嫌々起きるのに、何の得があるだろう。布団の中という一種天国のようなところから、現実という娑婆、いや地獄に出なければならないのだ。

『早起きは三文の得』というのは悪魔の言葉だ、とぼくは思っている。
 文明の発達とともに夜更かしする人間が多くなった。そのため悪魔は活動しにくくなってしまった。「これは困ったことだ」と嘆いた悪魔は、一計を案じた。欲張りな人間を見つけては耳元で、「早起きすれば、儲かりまっせ」とささやくことにしたのだ。
 一夜にして「早起きすれば、儲かりまっせ」という言葉は広まった。そして、「この言葉は魔法の言葉だ。ぜひこの言葉を後世に伝えよう」という流れになった。
 ところがその際、「『儲かりまっせ』という表現はあんまりじゃないか」という意見が出た。そこで人々は、話し合い、『早起きは三文の得』ということにした。
 有名なことわざだからといって、鵜呑みにしてはならない。早起きする人が多くなれば、早寝する人が多くなる。そうすれば悪魔が活動しやすくなるのだ。

 ところで、先ほどちょっと外に出てみたのだが、実にすがすがしい朝である。少し肌寒くはあるが、それが妙に心地よい。今日は午後から曇りという予報が出ているものの、今のところは雲一つない青空が広がっている。
 今日はきっと悪魔にささやかれている日なのだろう。何か得したような気がする。

2002年2月27日の日記です。

「雪は残り花は遅れていた
 しかし彼らは知り尽くしていた
 ひとつの旅が終わったことを

 みんなどこでもいいから吹き飛びたいと言った
 というのも彼らの行くところはなかったから
 ひとつの旅が終わった時に

  薄暗い空から、雨も降り始めていた
  でもちょっと見回すと 晴れ間も見えていた

 誰かが死んでもいいと言った
 でももう死ぬところもないだろう
 ひとつの旅が終わっているから

 何かひとつ元気が欠けた
 大人たちは喜んだ
 ひとつの旅が終わっていた

  薄暗い空から、雨も降り始めていた
  でもちょっと見回すと 晴れ間も見えていた

 雪は残り花は遅れていた
 しかし彼らは知り尽くしていた
 ひとつの旅が終わったことを」

 この詩は昭和51年3月1日に書いたものだから、もう26年(当時)が経つ。
 この年この日にぼくは高校を卒業したのだ。
 ぼくは卒業式の最中、体育館の窓からずっと空を見ていた。その日は小雨のぱらつく曇天の日だった。たまに雲の隙間から日が差し込むのだが、何か気の落ち着かない時間だった。
 うっすらと希望は見えているのだが、不安のほうが重くのしかかっていた。そういう気持ちを表すのにもってこいの天候だった。この日からぼくは、学生でもなく、社会人でもない生活を5年間強いられることになる。

 誰しも過去を振り返る時、真っ先に思い起こす時代というものがある。ぼくの場合、それは19歳前後である。
 その19歳前後の思い出というのは、「あの日、ハエを何匹殺した」とか「あの日、石炭と間違えて猫のうんこを掴んだ」などという出来事だけでなく、その時その時の考え、いや気分まではっきりと覚えている。
「心はいまだにその時代に住み着いているのかもしれない」、
 と思えるほどだ。
 今の自分は、19歳の心が経験という服を着ているだけではないのだろうか。落ち着きのなさも、物事に対する雑さも、ほとんど19歳の頃と変わってないような気がする。
 よく「しんたさんは頭が白いわりには若いね」とか「とても44歳には見えない」などと言われるが、それはぼくがまだ19歳であるからだ。

 そう考えれば、その後ぼくがやらかしたこと、すべてが納得できる。
 会社のお偉いさんが朝礼でお言葉をたれている最中に、「異議あり!」と反論して左遷の憂き目にあったことも、19歳であるからだ。
 11年勤めた会社を考えもなしに突然辞めたことも、19歳であるからだ。
 金遣いが荒いのも、いまだいたずら好きであるのも、19歳と思えばすべて納得がいく。
 いまだにうっすらと希望は見えているのだが、不安のほうが重くのしかかっているというのも、ぼくがまだ19歳であるからだ。

 しかし、どうして19歳なんだろう。よりによって、今まで生きてきた中で一番辛かった時期を思い起こさなくてもよさそうなものなのに。例えば、一番楽しかった17歳の頃とか思い浮かべてもよさそうなものである。
 もしかしたら、ぼくにとって高校時代というのは「明治維新以前」つまり「プレ近代」だったのかもしれない。だから何か浮世離れしていたのだろうな。
 そう考えると、今に直接つながる時代というのは、「維新以降」、つまり19歳以降ということになる。
 では、「維新」というのはあったのだろうか?
 ぼくはそれを高校の卒業式だと捉えている。「卒業式の最中、体育館の窓からずっと空を見ていた」ことこそが、ぼくにとっての革命だったのだ。

2002年2月25日の日記です。

1,
 昨日の件だが、腑に落ちないことがある。Tさんに「不審な箱」と通報してきた、お客さんのことである。

 昨日の不審な段ボール箱は、駐車場に置いてあった。だが、それは車を停めるのに支障をきたすような場所にあったのではなく、車止めの向こう側にあったのだ。しかも、その段ボール箱はどこにでもある箱だった。
 昨日は、お客さんの通報がある前から、わりと多くの人が2階の駐車場に車を駐めていたのだが、もし一瞥して「不審な箱」と捉えるような目立つ箱であれば、そのお客さん以外にも箱のことを言ってくる人はいたはずだ。しかし、そういう人は一人もいなかった。

 二つ考えられることがある。
 一つは、そのお客さんに段ボール箱を一瞥しただけで、「不審な箱」と感じる能力があるということだ。しかし、それは現実味がない。
 もう一つは、そのお客さんが来るまで箱はなかったということだ。つまり、そのお客さんが来てから、その箱が置かれたということだ。それだと俄然現実味が出てくる。というか、そう考える方が自然だ。となると、その箱を置いたのは・・。
 裏付けはある。実は今日、そのお客さんがまた現れて、「昨日の箱はどうなりましたか?」と聞いてきたというのだ。
 怪しい。犯人は犯行現場に戻るという。
 そういえば昨日駐車場でぼくがドキドキしている時、そのお客さんは横でボーっと突っ立って見ていたのだった。あの時「警察呼ぼう」と言ってみればよかった。そして、そのお客さんの反応を見るべきだった。残念なことをした。

2,
 ところでぼくは今日、朝から店長と会うのを楽しみにしていた。
 店長はぼくを見つけると、案の定「昨日何があったんね」と聞いてきた。ぼくは昨日の日記の順番通りに、わざとゆっくり説明した。
「ほんと、大変でしたよ。12時ごろやったかなあ。お客さんがTさんにですねえ・・。───だったんですよ。それで、駐車場に行ったんですね」
「で、中身は何やんったん?」
「それでですねえ・・・」
「で、中身は?」
「やっぱり、こういう時は誰でも怖いでしょう?そこで、箱をですねえ、───してですねえ、───たんです」
「もう、中身は何なんね?」
 せっかちな店長はイライラしだした。店長はわかりやすい人で、イライラすると顔が赤くなるのですぐにわかる。
 なおもぼくは、「それでですねえ・・・」を繰り返した。そして、最後に中身を教えた。
 店長は大きな声で「イタチー?!」と言った。今度は憤慨して顔が赤くなった。

 店長と話すのは実に楽しい。店長が休みの時に、またこういう事件が起こらんかなあ。

朝の続きです。

 中には、何かビールケース、いや牛乳ケースのようなものが入っていた。中を覗いてみたが、暗くてよくわからない。
 臭いを嗅いでみた。糞のような臭いがした。やはり何か生き物が入っているのだろう。

 ぼくはケースの前で躊躇した。
 牛乳ケースのようなものに触れたとたん「バーン」となるかもしれない。ヘビが出てきて、手を噛み付くかもしれない。いろんな思いが、ぼくにケースを触らせようとしないのだ。
 しかし、このままそこにいても埒が明かない。意を決して、ぼくは箱を1Fの事務所前の商品搬入口まで持って行くことにした。
 抱えてみるとそれほど重いものではなかったが、いつ「バーン」と鳴るかと思うと、あまりいい気持ちはしなかった。

 搬入口まで行くと、そこに店長代理がいた。
「この箱が2Fの駐車場に放置してあったんですけど」
「何それ?」
「さあ?中に牛乳のケースのようなものが入ってるんですけど。何か生臭い」
「そのへんに捨てとき」
「そういうわけもいかんでしょう」
「じゃあ、開けてみようか」
 ということで、二人で開けてみることにした。ひもをカッターで切り、ふたを全開した。しかし、やはり中が暗くてよく見えない。
 代理が懐中電灯を持ってきて、箱の中を照らした。

「あっ!」
 目がこちらを見ている。全体を照らしてみた。イタチだ。ぼくはイタチが街中を駆けていくのを何度か見たことがあるが、顔を拝むのは初めてのことだった。
 牛乳ケースのようなものは、罠だった。イタチは足を挟まれて動けなくなっているようだ。よく見ると、足が一本取れ、血が流れている。

 代理とぼくは顔を見合わせて、「どうしようか」と言った。
「死んどったら、生ゴミとして出すことも出来るけど、生きとるしねえ」
「離したら、一発かまされるやろうし。警察に届けましょうか?」
「いや、イタチぐらいで警察は来んやろう」
「でも、一応知らせとったほうがいいんじゃないですか。不法投棄なんだし」
「あ、そういえば、ネズミ駆除とかする所を知っとるけ、聞いてみよう」
 代理はさっそく電話をかけた。

「今日の夜、引取りに来てくれるらしいよ。黒の袋で包んでいてくれと言うことだった」
 そこで、店にあった黒い袋で箱を包み、
「中にイタチが入っています」
 と白紙に赤字で書いて、それに貼っておいた。

 夜になって、業者がイタチを引き取りに来た。「しかるべき場所に捨ててくる」ということだった。これで事件は解決した。

 さて閉店後、今日用があって休んでいた店長からぼくの携帯に電話があった。
「しんちゃん、終わった?」
「終わりました」
「今○○店におるけ、そこに売り上げを流すように代理に言うとって」
「わかりました。そう言えばいいんですね。ところで、今日大騒動があったんです」
「え?」
「不審な箱が2Fの駐車場に放置しあって・・・」
「不審な箱、何が入とったん?」
「大変なモノだったんです」
「何やったんね?」
「今は言えません。明日言います」
 と言って、ぼくは電話を切った。
 
 神経質な店長のことだ、きっと今夜は眠れないだろう。

2002年2月24日の日記です。

 店で困った問題が起きている。ぼくの働いている店は、2Fが駐車場になっているのだが、最近そこがゴミ捨て場になっているのだ。

 昨日の朝、ぼくがいつものように2Fの駐車場の鍵を開けに行ったところ、市の指定のゴミ袋に入ったゴミが捨ててあった。もはやカラスに荒らされた後なのか、ゴミはいたるところに散らばっていた。
 清掃のおばちゃんがさっそく駆けつけ、「何もこんな所に捨てんでも、よさそうなものなのに。ちゃんと指定日に指定の場所に出せ」などと、ブツブツ言いながら片付けていた。
 これまでも、タバコの吸殻を大量に捨てていたり、コンビニやホカ弁の袋にゴミを包んで捨てていた例はあるが、今回のような本格的なゴミは初めてのことだった。

 今日の午前中、隣の売場にいるTさん(女性)が、走ってやってきた。
「しんたさん、ちょっと─」
「何かあったと?」
「うん。お客さんが、2Fの駐車場に不審な箱が置いてあると言ってきたんですよ。行ってきて欲しいんですけど」
「不審な箱」、ぼくは頭の中で検索してみた。検索結果は「爆発物」であった。おそらく最近「不審な箱」と聞いて、「爆発物」を連想しない人はいないんじゃないだろうか?

 そこに通報してきたお客さんも一緒にいたので、詳しい話を聞いてみた。
「何かゴソゴソ動いているんです」
 と言う。
 そこでまたぼくは、「不審な箱 ゴソゴソ動く」を頭の中で検索してみた。「動物」という結果が出た。さらに検索していくと、「子犬、猫、ネズミ、ヘビ、イグアナ・・・」という結果が出た。「さて何だろう?」ということで、現場に向かった。

 現場に着いてみると、そこには一升瓶を6本入れる段ボール箱が置いてあった。封は開いているが、ビニールのひもでくくられていた。
 中身を確認しなければならない。そう思ったとたん、胸がドキドキしだした。

 考えてみれば、こういう役回りはいつもぼくにやってくる。人が倒れていた時も、酔っ払いが暴れていた時もだった。
「損な運命を背負っとるなあ」と思いながら、ぼくはひもをずらして箱のふたに手をかけた。

「待てよ」
 ぼくはふたから手を離した。そして顔を箱に近づけ、犬や猫を呼ぶ時のように、舌を鳴らしてみた。
「チ、チ、チ」
「・・・」
「チ、チ、チ」
「・・・」
 反応はない。
「しかたない。開けるか」
 もう一度、ふたに手をかけた。

「いや、待てよ」
 また手を離し、今度は箱を軽く蹴ってみた。
「・・・」
 もう一度蹴った。
「・・・」
 反応がない。
「しかたない。開けよう」

 再度、ぼくは箱のふたに手をかけ、「もうどうにでもなれ!」と思いながら、箱のふたを開けた。
「えーっ!?」

1,天皇誕生日
 今でもぼくは、天皇誕生日というと4月29日を連想してしまう。それはおそらく、その時代は、その日に休んでいたからだと思う。
 ぼくは社会に出てから、祝祭日に休めない仕事についた。そのため働き盛りだった平成の、天皇誕生日は休みではなかった。同じような仕事をしている令和の現在も、天皇誕生日は休みではない。だから、今日が天皇誕生日だと言われると、どうもピンとこない。

2,スエット上下
このカッコウのまま外に出たら
おっさん臭く思われるだろうな、
と思いながらもパジャマ代りの
スエット上下でスーパーに行く。
実は秋から冬にかけて着る服は
通勤着以外それしか持ってない。
スーパーに行く程度でわざわざ
それに着替えるのも馬鹿らしい。
生活の中にあるスーパーだから
生活感のある衣装がお似合いだ。
─とその心持ちがおっさん臭い。

3,静電気の人生
ぼくたちは静電気の人生を
パチパチ歩いているんだね
どこかで拾った電気の種を
ひそかに身中に貯め込んで
人に触れると火花を散らし
互いに痛みを与え合うんだ
ぼくたちは静電気の人生を
パチパチ生きているんだね

4,いい具合の図
スーパーの入口横にある男子トイレ、
六台の小便器のうち五台が使用中だ。
坊主の子供、黒髪の学生、一つ空き、
茶髪の青年、白髪の中年、禿げ老人、
入口側から年齢の順番に並んでいる。
もし空いている所にぼくが入ったら、
このいい具合の図がくずれてしまう。
誰かが抜けるまで待っていようかな。

5,買い物の合間
このお店の天井に貼り付いた
何列もの照明から漏れている
光の滲みが不器用に絡みあい
ゆらゆらゆらゆらゆらゆらと
いいあんばいに揺らいでいる。
まるで春陽の射す川の水面に
心浮べているような気がして
とっても気持ちがいいのです。

2002年2月23日の日記です。

1,
 以前うちの母親は、シルバー人材センターの仕事をしていたのだが、その時によく
「大企業や公務員出身の人ほど仕事をしない」
 と言っていた。
 ことあるたびに「私は以前○○で働いていた」と自慢し、ほかの人を見下す態度をとるらしく、その後その人は浮いた存在になり、辞めていくパターンが多いのだそうだ。きっと取引先や下請け業者をあごで使っていく過程で、働くという意味を履き違えていったのだろう。

 まあ、そういう企業の体質はいかんともしがたいものがあるのかもしれないが、せめて「実社会」に出た時の最低のマナーくらいは勉強してほしいものである。
 こういう人たちに限って、「大企業(公務員)出身だから私は偉い」と勘違いしている人が多い。まずここから改めなければならない。
「企業はその人の人格や能力を表すものではない」
 ということを知る必要があるだろう。

2,
 これと似たようなことで、出身大学のプライドというのがある。
 官僚の中には「東大卒以外は人間ではない」と思っている人間が多いと聞く。
 こういう人たちも、
「東大に入ったのは、東大に入る才能を持っていたというだけのこと。決してそれは社会的な能力や、人物の大きさに関する尺度にはならない」
 ということを覚えておいたほうがいいだろう。

 学校の成績がいいことを「頭がいい」「偉い」と表現する風潮は、もういいかげんにやめてほしいものである。そういう風潮が、こういった馬鹿を生んでいるのだから。

 15分早い柱時計が、コチコチと鳴っている。そして1時間おきに、15分早い時報を告げる。
 わざとそういうふうに設定しているのではない。何年かに一度は、ちゃんと時間を合わせているのだが、自然と早くなっていって、いつも15分早くなると落ち着くのだ。

 この柱時計の時報には、いくつかの楽曲が使われている。例えば『いとしのエリー』であったり、例えば『中央フリーウェイ』であったり、ぼくが学生の頃に流行った歌がメインになっている。
 そういう懐かしい歌をFM音源が、淡々と奏でているのだが、その音源で聞くと、なぜか学生の頃の楽しかった思い出ではなく、この柱時計を買った結婚当初のかなりきつかった思い出が蘇る。

 しかしこの柱時計は、何で15分早くなるのだろう。嫌な思い出を早く忘れようとする、ぼくの念いが為す技なんだろうか。それとも「過去を早く打ち切って、今を大切に生きなさい」という神さまの啓示なんだろうか。

2003年2月22日の日記です。

 昨日久しぶりに飲みに行った。12月の忘年会以来である。
 年末に風邪を引いてからは家でもあまり飲まなくなったから、少しの酒でもすぐに酔ってしまう。普通の焼酎のお湯割りがえらく濃く感じたものだった。

 酒の席で、Hさんという人の話題が出た。
 Hさんは、一昨年まで某大手企業で働いていたが、倒産の憂き目に会い、職を失ってしまった。その後、失業保険をもらいながら職探しをしていると聞いていたが、50歳を超えたHさんには、就職先がなかなか見つからないということだった。

 ぼくたちが「Hさん、大変やねえ」などと話していると、ある人が「何を言いよるんか」と言った。
「あの人凄いんぞ。おれ、あの人が会社を辞めてから、毎日パチンコ屋で会うんやけど、毎月の稼ぎが30万円を下らんらしいぞ」
「何しよると?」
「パチンコ」
「パチンコで? でも、波があるやろうもん。平均が30万円じゃないんね」
「いや、あの人には波はない!」
「じゃあ、毎月コンスタントに30万円稼ぎよるということ?」
「おう」
「凄いねえ」
「それだけやないんよ。最近、また一段と凄くなってのう。いつも懐に6、70万円は入っとるぞ」
「6、70万円!?」
「おう、軍資金らしい。生活費の30万円は別でぞ」
「でも、負ける時もあるんやろ?」
「あるよ。でも、あの人は3万円負けたら、見切りつけてさっさと帰る。ただ勝つ時が凄い。30分で10万円分くらいすぐにたまるけのう」
「へえ」
「あの人、博才があったんよ」

 ぼくはよくわからないのだが、ここまで来ればプロと呼んでもいいのではないだろうか。

「大丈夫」
 この言葉を拾ったのは、三十歳になるかならないかの頃だった。
 些細なことで罪悪感に苛まれ、数ヶ月立ち直れなくなったことがある。心は黒く重い雲に覆われて、ふさぎ込む日々が続いた。魔物か何かに取り憑かれてでもいるのか、この人生をあきらめようかとさえ考えたこともある。そういう時だった。

 ある日そんなぼくを見かねた運命が、すべては大丈夫なんだと、ことあるごとにこの言葉をぼくに投げかけてきたのだ。
 最初は見過ごしていたぼくも、ようやくそのことに気づき、素直にこの言葉を受け取った。おかげで何とかその状態から抜けだすことができたのだった。

「大丈夫」
 そうだった。あの時運命は、ぼくの人生に太鼓判を押してくれたのだった。今さら何をぼくは悩んでいるのだろう。

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