吹く風

人生万事大丈夫

2023年01月

2002年11月2日 酔っ払いのおいちゃん逮捕される

 夕方、聞き覚えのある怒号が聞こえてきた。
「こら、きさま~。なめとるんかっ!!」
 お客さんの休憩所からだった。
 それを聞いて、ぼくは走ってその場所まで行った。
 聞き覚えのある声の持ち主は、酔っ払いのおいちゃんだった。久しぶりの登場である。
 おいちゃんは、ベンチで惣菜を食べながら、酒を飲んでいた。
「おいちゃん、何大きな声出しよるんね。他の人が迷惑するやろ」
「あ、大将。すいません。でも、子供が生意気なこと言うもんで」
 おいちゃんの視線の先には、4.5歳くらいの小さな子が二人いた。脇には二人のじいちゃんらしき人が座っていた。
「生意気なことって、まだ子供やん。いい歳して子供相手にケンカなんかしなさんな」
おいちゃんは、「はい、すいません」と言いながら、また子供に向かって、「こら~! 前科者をなめるなよ」などと凄みだした。
「前科者やないやろ、小心者やろ。いらんこと言いなさんな」
「はい。もう言いません」
「本当やね。大人しくしときよ」
「はい、すいません」

 ぼくの姿が見えなくなるまで、おいちゃんは静かにしていた。が、ぼくが売場に戻ると、子供の泣き声がしてきた。そして今度は違う声が飛んできた。
「こら、きさま。子供を泣かせやがって! 表に出れ!」
「何を~!」
 ぼくはまたおいちゃんのいる場所に走って行った。
 おいちゃんに絡んでいたのは、子供のじいちゃんだった。今度は人が入って止めていた。
 じいちゃんには娘が、「お父さん、もういいけ帰ろう」と言っている。しかし、じいちゃんの怒りは収まらない。
 おいちゃんには店長代理が、「おいちゃん、人に迷惑かけるなら出て行き」と言っている。
 しかし、おいちゃんは言うことを聞かない。
「おれが悪いことしたか!」
「人に迷惑かけよるやないね」とぼくが言うと、おいちゃんは
「子供がこちらを見るけたい!」と言い返す。
「じゃあ、反対側向いとったらいいやん」と、ぼくは子供と逆の方向を指差した。おいちゃんは黙った。
 ぼくは、じいちゃんに「すいません」と謝ったが、じいちゃんはまだ怒りが収まらないのか、おいちゃんを睨みつけながら外に出て行った。

 それからしばらくして、またおいちゃんの騒ぐ声が聞こえた。ところが、おいちゃんの声はだんだん遠のいていった。
「どうしたんだろう」と思っていると、店長代理がやってきて、「おいちゃん、逮捕されたよ」と言った。
「逮捕ですか」
「うん、あのじいちゃんが連絡したみたい。よっぽど頭にきたんやろうね」
「かわいい孫を泣かされたからですね」
「ま、これでまたいっとき来んやろ」
「案外、作戦やったかもしれんですね。今日は寒いけ、警察で寝たかったんやないですか」
「ああ、そうかもしれんね」

 ところで、酔っ払いのおいちゃんは、いつも地下足袋を履いているのだが、その格好といい、頭の形といい、『あしたのジョー』に出てくる丹下段平に似ている。ということは、これからは、矢吹丈ばりに「おっちゃん」と呼ばなければならない。
しかし、段平おっちゃんはボクシングの優秀なコーチだが、こちらのおっちゃんは何をコーチしてくれるんだろう。
 強いてあげれば、酒のコーチか。
「立つんだ、ジョー」ではなく、「飲むんだ、しんた」となるわけか。

「ゼロから数字を生んでやらう」
 高村光太郎の『天文学の話』という詩の中にある言葉だ。ぼくはこの言葉が好きで、毎朝神棚を拝む時には、いつもこの言葉を口に出している。またノートや手帳の冒頭には、いつもこの言葉を書き込んでいる。この言葉を口に出したり目にしたりすると、不思議と元気が出てくるのだ。座右の銘と言ってもよい。

 この詩を知ったのは、高校3年(1975年)だった。
 その年の夏に始まった『あこがれ共同体』というドラマの冒頭で、郷ひろみがこの詩の一節を朗読するのだ。
「それはずっとずっとさきの事だ。
 太陽が少しは冷たくなる頃の事だ。
 その時さういふ此の世がある為には、
 ゼロから数字を生んでやらうと誰かがいふのだ」
 この言葉を聞いた途端、頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。
「ゼロから数字を生んでやらう」、実にワクワクする言葉じゃないですか。それ以降、ぼくはオリジナリティというものにこだわりを持つようになった。

 高村光太郎といえば、『道程』の中の
「僕の前に道はない
 僕の後ろに道は出来る」
 という言葉もある。ぼくはこの言葉も好きだ。ゼロから数字を生んで道は出来ていくわけだからだ。

その1
 家に帰ってすることといえば、エアコンを付けることだ。ところが、ここ数日の寒さで部屋の中が冷え切ってしまい、なかなか暖まらない。室温設定を上げてみる。しかしまだ暖まらない。あ、電気代、いくらくるんだろう?

その2
 ということで、ガスファンヒーターをつける。こちらは速暖性に優れているので、素速く暖まる。が、部屋が暖まれば暖まるほど、ガス代が心配になってくる。ガスファンを買った頃、速暖とその暖かさに気を良くし、調子に乗って使ったことがある。翌月、請求書を見てびっくりした。通常の倍以上請求額だったのだ。それを思い出し、恐ろしくなって消す。

その3
 石油ストーブを着ける。こちらは先払いなので、請求額を心配しないですむ。それはいいのだが、燃費が悪く、すぐに灯油が切れてしまう。灯油缶は窓の外に置いてある。冷たい冷たい風の中にあるのだ。いやでもそこで灯油を入れなければならないし、空になると、また買い出しに行かなければならない。気が重い。

その4
 なるべく暖房に頼るまいと、厚手の部屋着に着替える。上下とも裏地がフリースなので暖かい。特に足下が暖まると、寒さを感じなくなる。ところがちょっと動くたびにバチバチくる。静電気だ。冬は静電気との闘いもあるのだ。

その5
 ホットココアやホットレモンや生姜湯を飲む。やはり冬は温かい飲み物が一番だ。体の芯から温まる。しかし、これらの飲み物にも問題がある。えらく甘いのだ。痩せた今も、糖分だけは気になる。いったいどのくらいあるんだろう?だんだん心配になって飲めなくなる。

2002年7月15日
 最近また酔っ払いおいちゃんが来ている。
このおいちゃんは夏になると必ず店に涼みに来る。そして、酒を飲み、他のお客さんを威嚇したり、店員に絡んだりしている。
 一昨日は、お客さんが警察に通報したらしく、警察から事情聴取を受けていた。
 昨日は昨日で、店内でタバコを吸ったらしく、店長からつまみ出された。
 相変わらず大活躍しているようだ。

 夕方、おいちゃんの声がした。
「なんか、こらぁ!!」「きさま殺すぞ!! などと言っている。
 また始まった。
 おいちゃんが怒鳴っている所に言ってみると、そこには若いカップルがいた。どうもその二人に絡んでいるようだ。
「おいちゃん、何騒ぎよるんね」
「騒いでなんかないわい!」
「今、怒鳴りよったろうがね」
「普通にしゃべりよっただけたい」
「じゃあ、『殺すぞ!』とか言いなさんな。この二人に迷惑やろ」
「迷惑なんかかけてない」
「じゃあ、若い人の邪魔しなさんな。静かに座っとき」
「おう」
 その後もしばらくしゃべっていたようだが、そのうち静かになった。

 さて、閉店時間になった。
 閉店準備をしに、出入口のところに行ってみると、まだおいちゃんがいた。爆睡しているようだ。
 ぼくと店長代理は、おいちゃんを追い出しにかかった。
「おいちゃん、起きり。もう時間よ」
 おいちゃんは知らん顔して寝ていた。
「あんたがおるけ、店が閉められんやろうがね」
 ぼくがおいちゃんの上半身を起こそうとすると、おいちゃんは起こされまいとして力を入れている。
「何ね、起きとるんやないね。早く出てくれんかねぇ。時間なんやけ」
 するとおいちゃんは、壁を「バン!!」と力いっぱい叩いた。そして、また寝た。
「おいちゃん、おいちゃん」
 今度は死んだふりである。
「おいちゃん、いい加減にしときよ。そんなことするけ、新聞に『死んだふりをする』とか書かれるやろ」
おいちゃんは「死んだふりなんかしてないわい」と言いながら、起き上がった。
「もう時間よ」
「馬鹿じゃないんやけ、わかっとるわい!!」と、地下足袋のホックをはめだした。しかし、そのまま固まってしまった。
 ぼくが「また警察が来るよ」と言うと、おいちゃんは「何も悪いことしてないわい」と言う。そしてまた寝た。

 しかたがないので、店長代理と二人で、おいちゃんを担いで外に出すことにした。が、体が小さいくせにに、このおいちゃんは重い。まるで『子泣きじじい』である。途中まで担いで、そこに下ろしてしまった。
 それでもおいちゃんは寝たふりをしている。また担ごうとすると、おいちゃんは目を覚まし、「一人で歩いていく。よけいなことするな」と言う。
 そのままフラフラしながら、おいちゃんは店の外に出て行った。

 台風の影響か、外はパラパラと雨が降っていた。おいちゃんは、これからどうするんだろうか?また自転車で、〇〇署に行って死んだふりをするのだろうか。
 それを聞こうと思ったが、おいちゃんはそのまま自転車で立ち去っていった。

1,
 この間の休み、数年前に録っていた「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」の最終回(蛭子能収が出ていた最後の回)を観た。
 あの時、蛭子さんは72歳だったらしい。それまでは歳のわりに健脚だなと思って観ていたのだが、その回はえらくきつそうだった。歳を取ると、皆そうなるのかなあ。

 あの番組を観て、いつも思うのだが、バスの本数がえらく少ない。一日一便という場所、さらには廃止になった場所もある。そういう地区に住んでいる人は、いったいどうやって生活しているのだろう。
 まあ、元気なうちは、車を運転出来るから問題ないだろうが、免許証を返納した後どうするのだろうか?

2,
 バスを利用しなくなったので気がつかなかったのだが、こちらもえらくバスの本数が減っている。
 気がついたのは先週、そう太宰府に行った時だ。
 何時何分のバスで駅に行こうかと調べていたら、何とその時間帯はバスが一本しかないのだ。全くバスが走ってない時間帯もある。これだけ車が普及したのだから減便はしかたないにしろ、それにしても減らしすぎだ。かつてはドル箱路線と言われ、5〜10分おきに走っていたのに。

 かつてこの地区の足だったチンチン電車は既にない。代替であったはずのバスの本数は減っていく。これから足腰は徐々に弱っていくだろうし、このままでいくと、蛭子さんみたいになってしまう。免許証を返納するまでに、何か手を打っておかないと。

2002年7月3日
 先日、酔っ払いおいちゃんが新聞で紹介されていた話を書いたが、あの記事のことが酔っ払いおいちゃんの耳に入ったらしく、おいちゃんはそれに気をよくし、有名人を気取るようになったということだ。
「私のことが新聞に書かれてましてねえ」などと言っているらしいのだ。
 『山芋掘りの名人』と書かれていたのが、いたく気に入っているようだ。

 今日もおいちゃんを見かけたが、どういうわけか普段着ている作業着姿ではなく、カジュアルっぽい服を着ていた。おいちゃんが店に来るようになって2年、初めて見る格好だった。
 おいちゃんは、あの記事が『山芋掘りの名人』を褒め称える記事だとでも思っているのだろうか?
 確かに『根気が必要な山芋掘りの名人』と、おいちゃんを立てている部分はある。しかし、あの記事の主役は警察署の署員であって、おいちゃんではない。

 先日ここに、「イタチが夜な夜な店に侵入しては、センサーに触れ、糞尿を撒き散らし、警備会社や我々店の人間はそのために右往左往している」というようなことを書いたが、おいちゃんの記事はその話によく似ている。この場合の主役は、あくまでも迷惑をこうむっている我々のほうであり、決してイタチではない。
 そう、新聞記事の中のおいちゃんは、店内を荒らすイタチのような立場で書かれているに過ぎず、決して「『山芋掘りの名人』警察に現れ大活躍!」というものではなかったのだ。
 そのことを教えてやらないと、おいちゃんはまた調子に乗るだろう。

2003年1月27日の日記です。

 長い間開けてなかった、古い書類入れがある。今日何気なく開いてみたら、引き出しの一つに、その存在さえ忘れていた写真が入っていた。量にすると100枚程度で、生まれて9ヶ月目のものから30代後半までのものが無造作に入れてある。
 5歳頃の実家付近や、昭和40年代の小倉駅など、今となってはもう見ることの出来ない風景がそこにある。また、ぼくの記憶の中には存在しない、ステージで弾き語りをやっている姿や、喜多方ラーメンの旅の記録がある。つい懐かしくなって見入ってしまった。

 写真を見ているうちに、一つの疑問がわいてきた。それは、その中にある一番古い写真を見た時だった。どこをどう見ても今の顔に結びつかないのだ。今の顔に当時の面影が残ってないと言ってもいい。
 まず顔の形が違う。今のぼくの顔は、似顔絵のように長めの顔であるが、その写真の顔は丸顔に近い。
 目が違う。その後の写真を見るとどれも目が大きいのだが、その当時はかえって小さく感じる。今のぼくを知る人は、おそらく別人だと思うことだろう。

 それにしても白黒写真の多いこと。20歳ぐらいまでの写真は、もちろんカラーもあるのだが、圧倒的に白黒である。
 そこにある一番古いカラー写真は6歳の頃のもので、それ以降高校2年までは白黒しか存在しない。
 高校2年の時のカラー写真は、夏休みに鹿児島・宮崎に行った時のものである。その後20歳までの写真は、また白黒ものになっている。

 ところで、そのカラー写真だが、意外なことに気がついた。6歳の時の写真のほうが、高校2年つまり17歳の写真よりも質がいいのだ。
 これはどういうわけだろうと考えていたが、ふと思い当たることがあった。ぼくが17歳の時といえば、1974年である。1974年といえば、オイルショックの翌年である。オイルショックの時、何があったか。そう、紙不足だ。トイレットペーパーが、店頭からなくなっていた時期だ。
 その影響は出版業界にも出ていた。73年版の『ノストラダムスの大予言』という本をいまだ持っているのだが、その紙の質の悪いこと、ほとんどわら半紙状態である。
 あの頃は、紙と名がつくもの、すべての質が悪かったのだ。写真にも影響が出るのは当然である。

 そう考えると、鹿児島写真は、その時代を反映しているということになる。これは大きな発見だ。ぼくは今まで自分の写っている写真を、白黒でしか残ってないとか、色が悪いなどという理由からあまり見ることはしなかった。しかし、そういう質の悪い写真こそが、確かにあの時代に生きたという証である。いわば勲章である。
 そうやって見ると、ぼくはずいぶん勲章を持っていることになる。


この20年前の日記を読んで気付いたことがある。それは、それ以来その書類入れを目にした記憶がない、ということだ。いったいどこに行ったんだろう。

2002年1月27日の日記です。

 昨日だったか、NSPが再結成するというのをラジオで聴いた。ぼくは別に彼らを好きではなかったので、どんな歌を歌っていたのかは知らない。だが、ギターで「夕暮れ時はさびしそう」や「さよなら」の練習をしたおかげで、この二つの歌だけは知っている。
 ラジオからは「夕暮れ時はさびしそう」が流れていたが、さて「さよなら」はどんな歌だっただろう。いろいろ思い出してみたのだが、出てこない。
「さよなら、さよなら」と口の中で繰り返しているうちに、オフコースの歌が出てきたり、拓郎の歌が出てきたりした。
「どんな歌だったろう?」と、さらに考えていると、頭の中が真っ白になった。そして次に口の中から出てきた歌は、なんと「さよなら三角」だった。

「さよなら三角、また来て四角、四角は豆腐、豆腐は白い、白いはうさぎ、うさぎは跳ねる、跳ねるは蛙、蛙は青い、青いはきゅうり、きゅうりは長い、長いはエントツ、エントツは暗い、暗いは幽霊、幽霊は消える、消えるは電気、電気は光る、光るは親父のハゲ頭」
 小学生の頃、こんな歌をよく歌ったものだった。
 そういえば、こんなのもあった。
「そうだ、そうだ、ソーダー会社のソウダさんが死んだそうだ。葬式饅頭、おいしそうだ」
 いったい何なんだろう、これらの歌は?ただ語呂がいいだけで、何の意味もない。しかし、小学生の頃は必死に覚えて歌ったものだ。
 ああ、こういうのもある。
「一つ二つはいいけれど、三つ三日月ハゲがある。四つ横ちょにハゲがある。五ついくつもハゲがある。六つ向こうにハゲがある。七つ斜めにハゲがある。八つやっぱりハゲがある。九つここにもハゲがある。十でとうとうハゲちゃった」
 数え歌の一種だろうか。
 似た歌で、
「いーち芋屋の兄ちゃんと、にー肉屋の姉ちゃんが、さーんさるまた脱ぎ合って、しーしっかり抱き・・・・」
 あっ、これは放送禁止歌だった。

 歌詞のほうはいろんな地方や地区によって違うだろうが、曲はだいたいいっしょだと思う。
いったいこういうのは誰が作るんだろう?また誰が教えるんだろう?別にテレビやラジオでやっていたわけでもなかった。気がついたら小学校で流行っていたのだ。まさか「カバゴン」こと阿部進先生が教えたわけではないだろう。

 しかし、これを歌と呼んでいいものかどうか。まあ、確かに童謡や唱歌ではない。ということは「カゴメカゴメ」のような、わらべ歌に属するものだろうか?わらべ歌には、「あんたがたどこさ」とか、「通りゃんせ」とか、「花いちもんめ」などの遊び歌も含まれるのだから。
 他に「大波小波、高山越えて、低山越えて、谷川渡って、ワンツースリー」とか、「郵便屋さん、郵便屋さん、はがきが一枚落ちました。拾ってあげましょ、いーち、にー、さーん、しー、お変わりさん」などという、縄跳びでうたっていた歌もそう呼んでいいと思う。

 ちなみに、「郵便屋さん」とは時代を先取りした言葉だと思う。郵便屋と言うくらいだから、公務員ではない。民営化を読んでいたのだろうか?
「カゴメカゴメ」もよく予言の歌と言われているし、わらべ歌には何かそういう不思議な力があるのかもしれない。
 と言うことは、「いーち芋屋の兄ちゃんと・・・」にも、何か暗示が隠されているのかもしれない。
 ああ、この歌全部書きたい!

1,
 小5の3学期だった。
 5時間目の授業中に、ぼくは隣の席のヤツとおしゃべりしていて、「二人とも廊下に立っとけ!」となったことがある。
 3学期の廊下は寒い。さらに当時の校舎は木造だったので、窓から隙間風が入ってきて、その寒さに追い打ちをかける。その寒さを忘れるために、ぼくは一緒に立っているヤツにしゃべりかけた。
「おれ、さっきから気になっとったんやけど、あの雲の横に何かないか?」
「どの雲か?」
「左側の小さい雲たい。光っとるのがあるやろ」
「ああ、あれか」
「あれ、空飛ぶ円盤やないんかのう」
「まさか。飛行機やろう」
「いや、空飛ぶ円盤に違いない。飛行機は昼間は光らんし、ずっと止まっとるわけないやん」
「そうかのう」
 そいつは信じてなかったようだが、ぼくはそれを『空飛ぶ円盤』と断定した。
 そして授業が終わった後、教室に戻ったぼくは、皆の前でその話をした。皆ぼくの話を興味津々に聞いていた。

『空飛ぶ円盤』、ぼくが小学生の頃まで、UFOのことをそう呼んでいた。
 調べてみると、『UFO』と呼び出したのは、1970年代にイギリスで「謎の円盤UFO(ユーエフオーと言っていた)」というドラマが始まってからだという。

 ぼくはUFOを三度見たことがある。
 一度目はその時で、二度目は以前ここにも書いた(2022年9月26日の記事)が中三の時。三度目は社会に出てからで、その時は嫁さんも目撃している。
 UFOを見てから人生観が変わったとか、影響を受けたとか言う人がいるが、ぼくはそうはならなかった。ただこのブログのネタになっただけだ。

2,
 小学生の頃、5時間目以降の授業の時は、いつも身が入らなかった。それは算数や理科といった嫌いな課目の時だけではない。あの日、先生から廊下に立たされたのは、大好きな社会科の授業の時だったから、課目の好き嫌いに関係なくダレていたのだ。
 きっと食後の満腹感のせいでそうなったのだろうが、おかげで将来のネタを見せてもらった。

 先週の金曜日、太宰府天満宮の参拝を終えて、駅に向かって参道を歩いている時だった。「ちょっと、あの店に寄っていい?」と嫁さんが言った。そこはパワーストーンを売っている店だった。
「石を買うんか?」
「うん。わたし今年還暦やろ。還暦は厄年らしいから、何か身につけておこうと思って」
 普段嫁さんは、神社などに行っても御守りなどを買うことはない。そういう人間がそういうことを言い出すのだ。よほど還暦を気にしているのだろう。

 嫁さんが選んだのは水晶のブレスレットだった。最初はネックレスを見ていたようだが、常にそれを意識していたいという思いがブレスレットを選ばせたようだ。
 お金はぼくが支払った。実は、その日は嫁さんが還暦を迎えた日、つまり誕生日だったのだ。
 そもそもぼくたち夫婦は、お互いの誕生日を祝う習慣を持ってない。いつもお互いの誕生日の朝に、「あ、今日は誕生日だったね。おめでとう」と言うだけで終わりだ。お互いそれ以上何も求めてないのだ。
 しかし、今年は還暦という節目の年だからというので、ぼくはプレゼントを考えていた。水晶のブレスレット、いいじゃないですか、安いし、パワーもあるし。天神さまのおかげですね。

2002年6月28日
「雨の日のVIP」
雨がシトシトと降る夜は、T署員の不安の日だ。60歳くらいの男性が決まってやって来て、当直員を困らせるからだ。
署員によると男性は日雇い労働者らしい。
だが、最近は仕事がなくTの街を自転車に乗り夜の寝床を探しているという。T署に現れると酔っ払った上に死んだふりをして居座る。そして保護室で朝を迎える。彼にとっては警察署が格好のホテルとなる。
実は、男性は根気が必要な山芋掘りの名人。金が尽きると山で長さ1メートルはある自生の山芋を掘り、料亭と1本1万円で取引する。
「どこか彼の働く場所はないのかな。山芋を掘る根気で頑張ってくれれば」と、署の幹部は雨雲を恨めしそうに見上げている。
 (6月26日付毎日新聞朝刊より)

 この記事を読んで、ぼくは「ふざけるな!」と思った。この『60歳くらいの男性』とは、ぼくがこの日記で再三紹介している、酔っ払いのおいちゃんのことである。

 ぼくが何に対して「ふざけるな!」と思ったか?別に、こののんきな記事に対してではない。それは警察の態度に対してだ。
 何が『雨の降る夜が不安』だ!そちらは雨の日だけじゃないか。こちらは、一時期、毎日のようにこのおいちゃんに泣かされていたのだ。このおいちゃんから、怒鳴られたり、凄まれたり、叩かれたりしたお客さんのことを考えて言っているのか!?売場に来ては、クダをまき、タバコの吸殻を捨て、痰を吐き、どれだけ迷惑したと思っているんだ。困ってあんたたちを呼べば、厄介そうな顔をするし。こちらのほうが数倍恨めしい気持ちになるわい。こんな警察の情けなさを見せつけられると、「おいちゃん、もっとやってやれ」という気持ちになる。

 しかし、「死んだふり」をするとは笑わせてくれる。おいちゃんはタヌキか?はたまたマル虫か?そういう時、警察はどう対処しているんだろうか。以前、店の前で倒れたように眠っていた時は、ぼくは蹴りを入れてやったのだが、まさか警察はそこまでしないだろう。おそらく、「もしもし、どうされましたか?」などと言っているのだろうが、そんな甘っちょろいことで、このおいちゃんを退散させられるわけがない。時には怒鳴って追い出すくらいのことをしないと、このおいちゃんは付け上がるばかりだ。

 それにしても、あのおいちゃんが「山芋掘りの名人」だとは。確かにそうかも知らないけど、掘った後がいかん。ビニール袋にその日の収穫を入れて売り歩いているのだが、その売り方がひどい。まるで押し売りである。しつこく相手に絡み付いて、無理やり売りつけているのだ。断られると、因縁をつけている。あげくのはてには、そのビニールの中に痰を吐いている。そして、またそれを別の人に売りつけている。きっとその料亭も、無理やり売りつけられた口だろう。

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