吹く風

人生万事大丈夫

2022年11月

 先日書いた『もうすぐ冬』の続きです。
 毎年この時期になると、「昔は寒かったね」と言ってくる人がいる。昨年までは、ぼくもそれに同意して、「そうだったね」と答えていた。しかし、これは間違いではないかと、この頃思うようになった。

 もちろん今は温暖化で若干暖かくはなっているのだろうが、ここ数日小春日和が続いているのに、ぼくは寒く感じているのだ。ということは、昔寒かったのは気候のせいではなく、以前の自分が寒さを感じやすい体質だったからではないか。そしてその体質を変えたのが、脂肪なのだ。と思っている。その脂肪を削ったから、今年を寒く感じているわけだしね。
 もしかして「昔は寒かったね」と言ってくる人の多くもきっとそうではないのだろうか。

 これからは、「昔は寒かったね」と言われたら、
「それはあなたが昔より太ったからだ」と答えることにしよう。

今日会った彼女とは、行きつけの
飲み屋が同じというくらいの仲で
飲み屋が同じというだけで話が盛り上がった。
とはいえ店で会ったことはない。

昨日会った彼とは、共通の
知り合いがいるくらいの仲で
いつも挨拶代わりに共通の知人の話題が出る。
とはいえ三人揃って会ったことはない。

一昨日会った知人とは、よく行く
本屋が同じというくらいの仲で
どんな本を読んでいるのかというのが話題になる。
とはいえ本屋で会ったことはない。

いつも来ているバイト男子は、ぼくと
彼の父親の年が同じというくらいの仲で
その名前を見て「同級生かも」と思っている。
とはいえ確認したことはない。

まず生活の狭間にそういう人たちがいて
その土台に家族、親戚、隣近所や
同窓生、先輩、後輩などがいて
ぼくの人間関係は出来上がっているのだ。

1,
二十代後半に出会ったのが
『大丈夫』という言葉だった。
その時、なぜかその言葉に
救われる思いがしたものだ。
その後、三十代あたりから
その言葉に頼ることが多くなり
以来とにかく何かあるたびに
『大丈夫』と思う習慣がついたのだった。
特に朝起き時、ついつい
会社や仕事のことを考えて
憂鬱な状態に陥るぼくを
この『大丈夫』が救ってくれた。

2,
『ゼロから数字を生んでやらう』
という高村光太郎の詩句が好きだ。
いつも自分らしさを追求しているのも
いつも自分の味を探しているのも
人のやらないことに興味をそそられるのも
不可能という言葉に挑戦したくなるのも
きっとこの言葉の影響に違いない。
『ゼロから数字を生んでやらう』
五十歳を過ぎた今でも
この言葉に心を燃やしている。

3,
二十代の後半だったが
佐藤一斎の言志四録にある
『ただ一灯を頼め』という言葉に
えらく感銘を受けたことがある。
文字の小さな文語訳本を読んだのだが
その言葉だけがはっきりと
浮かび上がって見えたのだった。
以降、その言葉が座右の銘になる。
三十代から禅仏教に興味をそそられて
関連書物を読みあさるようになるのだが
つまりはこの言葉の展開だった。
その頃に感銘を受けた臨済義玄の
『随処作主、立処皆真』
という言葉も同じ意味であり
それゆえに感銘を受けたのだろう。

 相変わらず一日1食から2食の生活を続けており、高校時代の体重をキープしている。体脂肪も常に15%台だ。この取り組みを始めた頃にあった立ちくらみも便秘も今はなく、体調は万全だ。動きも軽く、実に言うことなしの生活を送っている。

 ただ、この体脂肪の少ない生活、一つだけ難点がある。寒いのだ。職場では「暑い暑い」と言いながら、まだ半袖で過ごしている人もいるのに、ぼくは小学生以来着てなかった長袖のアンダーシャツ、それもヒートテックのヤツを着込んでいる。それでも寒い。

 先日、12月からの生活が不安でしょうがないので、分厚い防寒着を数着買った。今までの冬はユニクロのパーカー、もしくは薄手のダウンジャケットで過ごしてきたが、これからはこれでは乗り切れんと思ったからだ。

 ということで、今年は長袖のアンダーシャツ(ヒートテック)と分厚い防寒着で過ごそうと思っている。が、それでも寒かったらどうしよう。

 夜、エレベーターがこの階で停まっている。2時間前にぼくが降りた時のままだ。その間、誰も乗らない状態でここに停まっていたのだろうか。それとも色々な人が乗ったあげく、またここに戻ってきたのだろうか。

 しかし夜とはいえ、まだ深夜ではないんだから、誰も乗らなかったということはないはずだ。香水臭のする愛想のない兄ちゃんとか、これまた香水臭のする金髪姉ちゃんとかは、帰ってくるのがいつも8時台だから、きっと乗っているはずだ。

 また毎週火曜日や、毎月10日のWポイントデーや、20日30日のお客さま感謝デーになると、イオンの袋を両手一杯に提げてエレベーターに乗りこんでくるおばさんが、帰ってくるのは9時ちょこっと過ぎだ。しかしそのおばさんは、この階の住人ではないから、その後に乗った人がいるということになる。

 さて誰だろう。
 いつも仕事が終わった10時台に帰ってくる、塾の先生が早上がりしたのだろうか。
 いつも違う女性をお持ち帰りされる、あの紳士が早々とご帰還なされたのだろうか。
 男遊びに狂ってなかなか家に戻らない、ヤンキー娘が男と別れて戻ってきたのだろうか。
 それとも何年か前にこのマンションで飛び・・・、いや、やめておこう。

 ニ十数年前、当時上司だった人と初めて飲みに行った時の話だ。
 タイトルは忘れたが、ぼくがカラオケである歌をうたっていると、急に彼が、
「ぼくの歌を取ったらいかんだろう。それはぼくが先輩からもらった歌だ」と憤慨して文句を言った。
『ぼくの歌』って、初めて飲みに行った人の十八番なんて、ぼくが知っているはずがない。それにそんなに大切な歌なら、先にうたっておけばいい話で、そうすればぼくも同じ歌なんかうたわない。

 その文句で充分白けさせられたのだが、彼はさらにぼくを白けさせてくれた。文句を言ってから十分後、彼はろれつの回らない口で、
「君はこういう歌を知っとるかね。これはぼくが先輩からもらった歌だ」と言い、先ほどの歌をうたい出した。
 最初は皮肉でうたっているのかと思ったのだが、その酔い方からして、どうも記憶が飛んでいる様子だった。

 ま、それはともかく、とても『ぼくの歌』と呼べるような歌にはなってなかった。それはそれは下手くそだったのだ。
 それ以降ぼくは、彼と二人で飲みに行くことはしなかった。

『しろげしんた』という、ふざけたハンドルネームを使い出してから、二十年以上になる。いまだに人前で名乗るのは気恥ずかしいが、二十年以上も使っていると愛着も湧いてくる。
 よく、「しろげさん」と呼ばれて、自然に「はい」と返事をしている夢を見るが、夢の中では『しろげしんた』は、もう自分になっている。

 何で『しろげしんた』なのかというと、『白髪頭のしんた』だからである。
 ホームページを始めた頃は、ただの『しんた』だけだったが、あまりにありふれているので、『しろげ』を付け足したのだ。つまり、「名は体を表す」ということわざを、地で行くことにしたわけだ。ぼくの場合、同時に体が名を表してもいるわけだから、「これは都合がいいや」と思ったものだ。

 漢字の『白毛』にしなかったのは、『しらげ』などと呼ばれるのが嫌だからだ。よくいるでしょう、素直に読めばいいものを、無理矢理難しく読む人が。よく本名でそれをやられるのです。
 その体を表す名前を、ぼくは何度か変えようとしたことがある。理由は最初に言ったとおりで、人前で名乗るのが気恥ずかしいからだ。だけど、いつも『しろげしんた』に戻ってしまう。よくよく縁のある名前なんだろう。

夜になると聞こえてくるのは
団地街の谷間に響く車の音と
酔っ払いが大騒ぎしている声だ。
その背景に流れている
「ドワー」というコーラスは
近くの工業地帯から漏れてくる音で
この地に六十五年も住んでいる
ぼくとっては自然音になっている。

そういえば、いつからだろう
虫の声が聞こえなくなったのは。
春の地虫の鳴き始めは
すぐにわかるのだが
秋鳴く虫の鳴き終わりは
気がつかないことが多い。
きっと寒さに気を取られて
その終演に気づかないのだろう。

一方で虫たちは「いよいよ人間が
窓を閉める季節になりましたね。
これからは聞いてくれる人が
誰もいなくなるんですね。
夜風が身に染みるようになったし
そろそろ鳴き納めにしましょうか」
なんて会話を交わしながら
冬眠に入っていくのだろう。

 エイトマンの歌詞の中に、『行こう無限の地平線』というのがある。何のことはない歌詞だが、ぼくは長い間、この歌詞にこだわりを持ってきた。
 リアルタイムでこのテレビマンガを見ていた頃、ぼくはまだ保育園児で、新幹線と同じ速さで走るエイトマン、タバコを吸うと強くなるエイトマン、実は本名が東八郎というエイトマン、それ以外には何の興味もなかった。

 歌詞が気になりだしたのは高校生の頃で、この歌をラジオで聴いた時のことだ。これを歌っている克美しげるが
『ゆうこうむげんの、ちへいせん』
 と歌っているのに気がついた。
「ゆうこうむげん、えっ、ゆうこうむげん、いったいどういう字を書くんだろう?」
 そこで候補を挙げてみた。おそらく、『有効無限』『友好無限』『有功無限』、この中のどれかだろう。だが辞書には載ってない。一番意味ありげなのは『有効無限』だ。ということで勝手に『有効無限の地平線』と決め、そう聞き取り、そう歌ってきた。

 しかし、そう聞き取り、そう歌っていくうちに、何で作詞した人は有効と無限という、まったく矛盾した言葉を並べるに到ったのだろうか、という素朴な疑問が湧いてきた。もしかしたら、そういう古い言い回しがあるのかもしれん。SF物だからその方面の独自の言葉なのかもしれん。
「有効無限は奥が深いな。いつか調べてみよう」
 ということになった。だけどなかなかそのことに取り組む時間がなく、疑問は心の奥底に長い間引っかかったままになっていた。

 その『いつか』は60歳を過ぎてからだった。たまたま見た歌詞集に『行こう無限の地平線』と書いてあったのだ。
「行こう無限だって?有効無限じゃなかったのか」
 なるほど、これだと意味が通る。だけど面白くない。いくら足の速いエイトマンといえども、これでは地平線にはたどり着かないではないか―。
 こんなつまらん疑問に四十年以上も費やして、かなり損した気がする。

1,
秋もこの時期になると
風呂の湯が痛くなる。
気づかないうちに体が
冷えてしまっているのだろう。
これから春になるまでの数ヶ月間
この痛みに耐えなければならない。

2,
家の前にある公園の木々が
ようやく色づき始めた、
と思っていたら、二日前に
市が伐採してしまった。
紅葉狩りに行かなくても
その木々が季節を映し出し
心を癒してくれていたのに
何やっているんだろう。

3,
時々鳥の糞が車のフロントガラスに
ベチャッと付いていることがある。
付いてすぐならワイパーで
サッサとやれば落ちるのだが
乾いてしまうとなかなか落ちない。
草色の糞が窓に尾を引く。

4,
話は変わるが、マンガの
タイガーマスクの最終回は主人公が
自動車にはねられ死んでしまうのだが、
さて、アニメのほうはどうだったのだろう。
ぼくはエンディングテーマが嫌いだったので
アニメのほうは見てなかったのだ。
そのタイトルは『みなし児のバラード』だった。

ぼくの家のそばにある港が、突如観光地になっている。何でも北九州市が日本新三大夜景の1位に選ばれたらしく、その夜景の一つに、その港が含まれているのだ。
 市はそれを受けて、そこを含むいくつかの場所を、観光スポットにしようともくろんでいるようだ。

 確かに何かを感じる景色ではある。だが、この辺りに住むぼくは、その景色にこびりつく現実に、ついつい苦笑いしてしまう。
 観光スポットということは、いずれ展望レストランなどを作るのだろうが、その近くには付近に住むぼくたちが、
「きっと壊れている」と噂する、し尿処理場が鎮座しているのだ。
 嫌でしょう、しょっちゅう屁の臭いがするような場所で食事をするなんて。

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