学生の頃、ぼくはいつも一人笑いしていた。たとえそれが授業中であったとしても、何かおかしいと感じることがあると、いつも笑っていた、そのため先生から、「何がおかしいんだ。集中力が足りん」と言われ、よく頭を叩かれていたものだ。
いったい何がおかしかったのかというと、ちょっとした人のしぐさだったり、癖のあるしゃべり方だったりで、とにかく他人からすれば何でもないことが、ぼくにはおかしく感じてしまうのだ。
逆に無理に笑わせようとする人には、反応しなかった。そんなものにはまったくおかしさを感じないのだ。いや、ひねくれていたわけではない。心の底からおかしくなかっただけだ。
高校時代、授業中にみんなを笑わせようとして、つまらないギャグを連発する先生がいた。他の人は笑っていたが、ぼくにはそれがおかしいと感じられず、笑わなかった。するとその先生は「なぜ笑わんか」と、こちらに食ってかかってきた。
「せっかくこちらが、面白いことを言って授業の緊張を和らげてやろうとしているのに、何でおまえは反応せんのか」と言う。
『強要されて笑う笑いなんて、本当の笑いではないと思います。本当におかしいと思った時だけ笑います』と思わず言いそうになった。が、そんな馬鹿を相手をするのも面倒なので、ぼくは黙り込んでいたのだった。
大したことのない事件だと思っていたが、いまだに記憶しているということは、無意識のうちにそのことを引きずってきたのかもしれない。考えてみれば、その教師の事件以来、素直に笑えなくなっているような気がする。
いったい何がおかしかったのかというと、ちょっとした人のしぐさだったり、癖のあるしゃべり方だったりで、とにかく他人からすれば何でもないことが、ぼくにはおかしく感じてしまうのだ。
逆に無理に笑わせようとする人には、反応しなかった。そんなものにはまったくおかしさを感じないのだ。いや、ひねくれていたわけではない。心の底からおかしくなかっただけだ。
高校時代、授業中にみんなを笑わせようとして、つまらないギャグを連発する先生がいた。他の人は笑っていたが、ぼくにはそれがおかしいと感じられず、笑わなかった。するとその先生は「なぜ笑わんか」と、こちらに食ってかかってきた。
「せっかくこちらが、面白いことを言って授業の緊張を和らげてやろうとしているのに、何でおまえは反応せんのか」と言う。
『強要されて笑う笑いなんて、本当の笑いではないと思います。本当におかしいと思った時だけ笑います』と思わず言いそうになった。が、そんな馬鹿を相手をするのも面倒なので、ぼくは黙り込んでいたのだった。
大したことのない事件だと思っていたが、いまだに記憶しているということは、無意識のうちにそのことを引きずってきたのかもしれない。考えてみれば、その教師の事件以来、素直に笑えなくなっているような気がする。