吹く風

2019年05月

70年頃に流行った言葉の一つが、「自由」だった。何でこの言葉が流行ったのかは知らないが、周りは事あるごとに自由を主張していた。
深夜ラジオの影響で、当時中学生だったぼくも時代に便乗し、何かにつけて「自由、自由」と、連発して口にしていたのだった。もちろんそこに思想などはなくて、自由という言葉を口にすることで時代の最先端にいるようで、カッコよく思えたのだ。

迷惑していたのは父さん母さんで、何かにつけて「自由、自由、自由」と言う青二才を相手にするたびに、「自分で何一つ満足に出来ないのに、何が自由だ」と言って怒っていた。
おっしゃる通りでした、お父さん。ぼくが間違ってました、お母さん。当時は全く判らなかったのですが、歳を重ねた今ならわかります。「自由というのは責任が伴うものだ」と。

むかしからコミックを買う時に、同じような失敗をしている。たとえば中学のころに揃えた『あしたのジョー』は7巻が二冊ある。『柔道部物語』は8巻が二冊、『バガボンド』は26巻が二冊、『二十世紀少年』は18巻が二冊、極めつけは『1・2の三四郎2』の1巻で、何と四冊もある。

何でこんなことになったのかというと、本屋に行った時に、自分が集めているコミックが平積みになっていたりすると、何の疑いも持たずに、それが新刊だと思って買ってしまうからだ。
『1・2の三四郎2』1巻に関しては、それに加えて、タイトルにもごまかされたのだ。

失敗に気づくのは、いつも家に持って帰ってからだ。それも途中まで読んでからで、「えっ、これ読んだことがあるやん」と書棚を探してみると、そこにそれがあるのだ。
「ダブって買ってしまいました」と間抜け面して返品に行くのも嫌なので、結局蔵書として残っているわけだ。

毎回その時は後悔して、「もう二度とこんなバカなことはしない」
などと思っているが、すぐに忘れてしまってまた同じことをしている。

新書や文庫じゃこんなことにはならない。問題はコミックをフィルムみたいなので包装していることにあるのだ。
立ち読みしない人間にとって、あんな不愉快なものはない。『おかげで初版発行日がわからないじゃないか!』と、新刊の発売日を調べることをしない、ものぐさ男は思っております。

小学生の頃までは人と競争することなんて、まったく興味がなかった。ただその日が面白ければ、それでよかった。かけっこで負けたって、ヒットが打てなくたって、悔しいなどとは少しも思わず、『これをどう笑い話に持って行こうか?』なんて考えている、変な少年だった。

ところが青春という時期に入ると、なぜか人目を気にするようになり、それが負けん気につながった。勝手に他人をライバル視しては、「こいつには負けたくない」なんて思うようになったのだ。成長ホルモンでも関係していたのだろうか、とにかく人に負けるのが、いや、イヤ、嫌なのだ。

それゆえ意地を張るようにもなった。「こいつらと同じ運命を歩いて行けるか」と、一人孤独を装ったり、意味なく部活を辞めたりしたものだ。果ては同じような理由で会社を辞めて、今なお続く波瀾万丈に繋がっていく。
ぼくのおかしな人生はきっと、青春時代から始まっているに違いない。

山の上にテレビ塔が見える。地デジやFMの電波はあそこから流れてくるんだ。
ふと思う。今の文明がなくなって、まったく違った文明になった時、その時代の人たちはあのテレビ塔を見て、いったい何と思うのだろうか。さすがに自然の産物だなどとは思わないだろうが、結局訳がわからずに、古代宗教の遺跡として片付けられるのではないだろうか。

そうやって考えていくと、現在、古代宗教の遺跡となっているところが、実は違った目的の施設だったのではないかと思えてくる。
例えばギザのピラミッドも、実は王の墓などではなく、何か別の目的で造られたのかもしれない。案外、スフィンクスがテレビ局で、横にあるピラミッドは電波塔だったりして。

高校時代、クラスにアイドル的存在の女子がいた。
決して美人ではなかったが、かわいい顔立ちで性格もいい。爆発的な人気というわけではなかったものの、彼女に好感を持つ男子は、ぼくを含めて多数いた。
そういう彼女の夢は、「いい人を見つけて、早く結婚したい」というものだった。それを聞いて、きっと彼女ならいいお嫁さんになるものと思っていた。

彼女の結婚を聞いたのは、ぼくが社会に出て間もなくのことだった。相手はけっこういい家の御曹司らしく、「いい人を見つけて、早く結婚したい」という彼女の夢は叶ったわけだ。その後彼女は子宝に恵まれ、順調に主婦の道を歩んでいった。

彼女と再会したのは、つい最近だ。仕事の関係である人と話していると、その奥さんという人が現れた。『どこかで見たことがあるなぁ』と目をこらして見てみると、かつてのぼくらのアイドル、そう、彼女であった。
彼女はぼくだとは気づかなかったようで、主婦特有のせこさ、図々しい振る舞い、歯に衣着せぬ物言いで、ぼくに接してきた。
そんな彼女の言動が恥ずかしかったのか、ご主人は「まったく女って奴は…」というセリフを連発し、苦笑いしていた。

長い主婦生活が彼女を変えたのか、もしかして元々そういう性格だったのか、そのへんはわからない。ただ言えるのは、かつてぼくらのアイドルは、今では立派なおばさんになっているということだ。

小学・中学・高校と、ぼくは理科という教科が苦手だった。生物・化学・地学・物理、どれを取ってもぼくは駄目で、とくに生物にいたっては、高校時代に再試と追試の二つの試験を同時に受けたほどの腕前だ。
いまだに化学式もわからない。地学なんかは習ってもいない。ま、物理だけは何とか理解できたが、理科の括りということで、なるべく近寄らないようにしていたのだった。
数学も理科ほどではないものの、あまり得意な方ではなかった。

逆に社会は得意な科目で、国語も努力せずに点数が取れた。唯一苦手だった作文も、ある日突然出来るようになり、今ではこんなものまで書いている。

現在やっている仕事は、どちらかというと理系の仕事なのだが、やはり理系の知識を用いることは苦手で、そこを文系の常識でカバーしている状態だ。ぼくは文系人間なんだろう。

ぼくが社会に出る頃まで、この辺りの家は石炭で風呂を沸かしていた。釜の中に石炭を敷き、その上に木切れなどを置き、新聞紙やチラシを丸めて火をつける。そして石炭に火が移るまで、紙や木を足していくのだ。石炭に火がつけばあとは火が消えないように、数十分置きに石炭をくべていく。
夕方になればどの家の煙突からもモクモクと、勢いよく煙が出ていた。その煙のにおいが町を覆う頃、夕方は夜に変わっていた。

時が流れて今は、ガスや電気で風呂を沸かす。いや沸かすのではなく、ほどよく沸いた湯を浴槽に張るだけでいい。便利な世の中になったものだ。
で、石炭はというと、この辺で使っている家は既にない。もしあったら、夕方のにおいを知らない人たちから、「異臭がする」などと抗議が出て、おそらく最後は撤去させられてしまうに違いない。
懐かしい風物は、こうやってひとつひとつ消えていくのだ。

1978年4月のことだった。キャンディーズの解散コンサートをテレビでしっかり目に刻んでから、桜前線を追うようにぼくは上京した。

東京駅で中央線に乗り換えて、降りた駅が新宿だった。この街がぼくの東京デビューとなった。まったく初めての街なのに違和感を感じなかったのは、ぼくの東京生活の中心がこの街になるという、潜在的な予感があったからなのかもしれない。

街には『迷い道』や『悲しき願い』が流れ、その歌に乗って現れるキャッチセールスたち。そのしつこいセールスたちをかわしながら、ぼくは地下道に降り、そこから丸井に入った。

丸井の地下は女性の下着売場だった。そこでぼくは生まれて初めて、ボディスーツというものを目にした。ファッションに疎かったぼくは、「東京の女性の間ではこんなものが流行っているのか」と、その窮屈そうな肌着を眺めていた。

その日は日曜日だった。新宿にはかなり多くの人が歩いていた。そこですれ違う女性を見ながら、「なるほど窮屈そうに歩いているな」と、ぼくは思っていた。

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