吹く風

2011年07月

さほど暑くないこの夏を
充分に鳴き尽くしたセミが
マンション脇の駐車場で
ジージーのたうち回っている。
そんなに日焼けした堅い堅い
アスファルトの上ではなく
せめて柔らかな土の上で
最期の時を迎えろと
ぼくは申し訳程度にある
玄関横の芝生の上に
彼をそっと運んでやった。

例えば夢を見た時、
自分に都合のいいように
解釈すると
自分に都合のいいことが
起きてくるものだ。
だからぼくは、
それが占いではどんなに
不吉な夢であったとしても
そんなことには一切触れず
自分に都合のいいように
解釈している。
手相だって、名前だって、
最近はそうしている。
それでうまくいっている。

夏が冷めた頃の
海の色が好きだ。
さしてきれいな
海ではなくても、
時にエメラルドな色を
目に触れさせてくれる。
空は高く、風は凪ぎ、
軽く寄せてくる波も
夏が冷めた心には
実に心地がいいものだ。

黄色い街灯や
黄色の点滅信号が
二重に見え出すと
ぼくの視力は冴えてくる。
見えないものまで
見えるような勢いだ。
そこに到ると夜空の星は
雪のような結晶と化し
地球上に降ってくる。
この世の向こう側にある
闇の世界まで見えてきて
そのうち宇宙の実相にまで
たどり着くだろう。

とうとうアナログ放送
停波の日がやって来た。
正午になると画面は青一色になり
今日が終わった時点で地アナは
砂の嵐状態になるのだそうだ。
この世紀の瞬間を見逃してなるものか。
ぼくは今日テレビに
必死にかじりつくつもりだ。

1,
ほら鳴っているんです、
ほら鳴っているんです、
明日に向かう夜汽車の音が。
「おーい、おーい」っと
ぼくに呼びかけるように
ぼくに誘いかけるように
鳴っているんです、
そして鳴っているんです、
今でも鳴っているんです。

2,
昨日は久しぶりに
金縛りにあった。
耳鳴りがして
ジワーッとぼくの胸を
押さえつけてくる。
そしてぼくの魂を
追い出そうとする。
昨夜は足を持ち上げられ
宙吊りになったのだった。

時代がない、過去がない、
今がない、明日がない、
夢がない、希望がない、
愛がない、心がない、
光がない、影がない、
風がない、水がない、
花がない、月がない、
闇がない、星がない、
春がない、夏がない、
秋がない、冬がない、
政治がない、法律がない、
規則がない、規律がない、
挨拶がない、気持ちがない、
ドラマがない、歌がない、
面白くない、時代がない。

柔道をやっていたのは
もう三十数年前の話で、
それ以来ぼくは
柔道着に手を通していない。
ということでぼくの中で柔道は
すでに終わっている話だ。
ところが最近になってぼくは
その柔道の技の一つである、
空気投げの理屈がわかってきた。
今後柔道をやるわけでもなく
そんな理屈がわかっても
今さらどうしようもないのだが、
それでもなぜか心のどこかで
そのことをぼくは喜んでいる。

家電量販店を覗いてみると、
一番売れているという32型のテレビは
もう高額機種しか残ってないという。
低価格帯の機種はというと、
一ヶ月とか二ヶ月とか
待たないと入らないらしい。
「しかたない、待ちます」
と、テレビのない夏を覚悟をした人。
「もういい。他の店をあたる」
と、店をののしりながら帰る人。

地デジチューナーも
すでに売り切れているようだ。
「何でないのか」
と、店員に詰め寄る客。
「申し訳ありません」
と、頭を下げる店員。
品物は無限にあるわけではないから
今この時期の品切れは読めていたはずだ。
どうしてもっと早く買わなかったのだろう。

ニッポン人は頭を下げる。
ペコリペコリと頭を下げる。
いいことでも悪いことでも
いちおう頭を下げている。
ペコリペコリと下げている。
目上目下も関係なしに
何かあれば頭を下げる。
過去も未来も頭を下げる。
ニッポン人は頭を下げる。
おそらく何千年の後の世も
ペコリペコリと下げている。

昨日の夕刊に
「今年はセミの声が聞こえない」
といったことが書いてあった。
その記事に興味を持ったぼくは
今年のセミが生まれた
七年前に何かがあったんだと思い
何かあったのかを調べてみた。
しかし、七年前の平成十六年は
大したことは起きてない。
と翌年を調べてみた。
「ああ、これかもしれん」
ぼくは思わず膝を打った。
その年の三月に地震があった。
福岡西方沖地震だ。きっと
その時の地殻の変動が
セミに影響したのだろう。
ぼくはそう推理した。
ところが、
その推理をあざ笑うかのように
今日は朝からセミの大合唱だった。
どうも地震とセミとの間に
因果関係はないようだ。
ということで、これから
九月上旬までうるさくなりそうだ。

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