吹く風

人生万事大丈夫

2011年02月

四月頃の装いで
家の近くをぶらついていたのだが
まったく寒いとは感じなかった。
この後ひと月の間に
こういう暖かい日がやってきて
またしても寒い日がやってきて
そうこうやっているうちに
節句が過ぎて、彼岸も過ぎて
桜の花が咲き乱れて春本番。
俗に言う「いい季節」となるわけだ。
とはいえ、ぼくは今の季節の方が好きだ。
なぜなら夜空が高く澄みきって
星がきれいに見えるからだ。

十数年前に九重で流れ星を見たのも
ちょうどこの季節だった。
実はその日、流れ星にした願いごとが
そのまま今の人生に繋がっている。
まだまだ実現の途中であり
決して楽観してはいないが、
願いごとを追いながらも
足が地に着いてきている。
「現状のままでいいのか」
と悩むこともあるが、結果的には
いつも「それでよかったんだ」となる。
ということなので、あの日の願いごとは
きっと実現するのだろう。

四方を和ダンスに囲まれた
八畳ばかりの窮屈な部屋に
花柄の布団が三つ敷かれている。
ちょうど西側に当たる所かな
タンスとタンスのちょっとした隙間に
浄土系の黒い仏壇が置いてあるのだが
そのせいで部屋は少し線香臭い。

隣の部屋はキッチンと一緒になっていて
折り畳み式の花柄のテーブルが置いてある。
そこには女性週刊誌が開いたままになっていて
ミカンの皮だとか、お菓子の食べかすとかが
開いたページの上に散乱している。
女性ばかりが住んでいるのだというが
どう見てもきれいだとは言えない部屋だ。

ある日ぼくは、その少し汚れた部屋を
夢の中の住みかにすることにした。
それ以来、夢に疲れるといつも
ぼくはその部屋でくつろいでいる。
だけど、その部屋に入る時は
だいたい起きる寸前だから
あまり長居ができない。

お猫にとって人間というのは
迷惑極まりない存在なのである。
だから空腹時以外の飼いお猫は
人間に近寄ってこないし
いついかなる時も野良お猫は
人間には近寄ってこない。

いったん人間に捕まると面倒だ。
のどをなでるし、鼻を押すし
肉球を触るし、腹をさするし
尻尾をつかむし、フラッシュたくし、
すぐに抱き抱えようとするし
好き勝手な名前で呼ぶし・・

お猫が必要としているのは
誰にも邪魔されずに
ゆっくり寝られる時間だ。
お猫が必要としているのは
誰にも干渉されずに
のんびり出来る空間だ。

だからオモチャ扱いにして
時間や空間を邪魔してくる
人間の子供を嫌うのだ。
だからいつもジッとしていて
時間や空間に干渉してこない
年寄りのそばが好きなのだ。

お猫にとって人間というのは
実に鬱陶しい存在なのである。
だから空腹時以外の飼い猫は
人間に近寄ってこないし
いついかなる時も野良猫は
人間には近寄ってこない。

生きている者にとって
死ぬということは大変な出来事だ。
それは生きている者が、脳という
いつもいらんことを考える
面倒なものを持っているからで、
そいつがこの世に執着してしまい
死は苦しいものだとか
死は痛いだものだとか思わせて
死を遠ざけようとするからだ。

一方、死んだ者にとって
死ぬということは大したことではない。
それは死んだ者が、脳という
いつもいらんことを考える
面倒なものを持っていないからで、
ゆえに現象や物と一体になれるのだ。
それは即ち、生とか死とかを
超越しているということであり
だから死に大した意味を持たないわけだ。

つまり、霊がこの世に現れるのは
実はそのせいなのだ。
しかし、ぼくが寝ている時に現れて
意味もなく股越していくのだけは
いいかげんにやめてほしい。

ポロポロと落ちるフケを
どうにかしないと、と思い
数名の方にフケ対策を
熱く講じてもらった。
まず爪を立てて頭を洗わないこと。
次に二度洗いすること。
そしてよくゆすぐこと。
洗ったあとは早めに乾かすこと。
―などなどだ。
おかげさまでフケがまったく
出なくなったわけではないものの
気にならないくらいに
その量は減っている。
もう少し時間が経てば
洗髪無知のために傷んだ頭皮も
回復することだろう。
フケが無になるのは
きっとその時だろうな。

仕事中に聞いているラジオ番組は
いつも昔の歌を流してくれている。
そういう歌を聴くと、つい気持ちが
その時代に戻ってしまい、曲が終わると
何か忘れ物を取り戻したような気がして
得したような気分に浸れるものだ。

その一方で、ちょっとした記憶違いに
気づき、愕然とすることもある。
ある時その番組のDJが、ぼくがこれまで
小六の頃に流行ったと思っていたある歌を
中一の年に発表された歌だと
紹介したことがあった。

ぼくはその歌に関する
思い出やイメージを、数十年も、
半ズボンの小学六年生のものとしていたので
学生服の中一時代の発表と聞かされた時には
「それは違っとるやろ」という言葉が
思わず口を突いて出たのだった。

しかしネットや資料などで調べてみても
DJの言う年代のほうが正しいではないか。
これはショックだった。
「ぼくはいったい、どの歌のイメージを
その曲のものとすり替えたのだろう」と思い
そのイメージ修正を余儀なくされたものだった。

年を取るごとにこういうことが
多くなっているような気がする。
ぼくは現在五十代なのだが
もしかしたら十数年後には
今流行っている歌が四十代の頃に
流行ったのだと思い込み、今の状態を
四十代のものとイメージするかもしれない。
ということは、これを書いている
今日の記憶も四十代の記憶になるということだ。

夜歯を磨くことが面倒になって
お口クチュクチュですませています。
歯磨きを早く終わらせようとして
ムキになって歯を磨く癖のある
ぼくにとってはこのやり方が
一番いいのかもしれません。

第一歯ぐきを痛めることがない。
歯磨きだとついつい力を込めるので
歯ぐきが破れて血が出てしまう。
おかげで歯槽膿漏じゃないかと疑って
歯科医に行ったことだってあるのです。
歯医者さんから「歯ぐきは問題ない」
と言われるも、「これがいいですよ」
とゴム製の歯間ブラシを勧められ
断り切れずに買いました。
もちろん保険は利きません。

お口クチュクチュ、クチュクチュは
歯ぐきを痛めず、血も出ない。
お口クチュクチュ、クチュクチュは
歯間ブラシも用いません。
お口クチュクチュ、クチュクチュは
実に気持ちがいいのです。

「いちたすいち」を数式として捉えずに
「いちたすいち」を言葉として捉えてみよう。
「いちたすいち」に構うことをしていると
「いちたすいち」になり果てるだろうから
「いちたすいち」には構うことをしないで
「いちたすいち」はあっさり忘れてしまおう。

「いちたすいち」をあっさり忘れてしまうと
「いちたすいち」にいつも振り回されている
「いちたすいち」に取り憑かれた心から
「いちたすいち」は消え去ることだろう。
「いちたすいち」の現実があったとしても
「いちたすいち」の数式に心を砕くことなく
「いちたすいち」は言葉なんだと流していこう。

いずれ人類滅亡の日がくるのだという。
その後その日を戒めとした世界が
この世に現れるのだという話になっているが
さて滅亡して誰もいなくなったはずの
地球のいったいどこに、その戒めを実現する
遺伝子が残っているというのだろう。
もしそれが新たな遺伝子だとしたら
彼らはどこからやって来るのだろう。
さらにその生命体の霊体は
どこの星の生物が務めるのだろう。
彼らはその日の記憶をどこで仕入れて
どう戒めていくというのだろう。
すべてはぼくらの死後のことなので
その後の世界を見られないのが残念だ。

経済、外交、内輪もめ
いろいろと問題が
山積しておるのでありますが
相も変わらずこの国民は
「何をどうしたらいいのか・・
わかんなーい」とでも言いたげな
あの眠た顔の老眼鏡を
非難したり、馬鹿にしたりしながらも
国の舵取りを任せているのであります。
世界の流れから察しまするに
あのぬる目の老眼鏡に
「No」を突きつけるその時が
来ているような気がしてならぬ
今日この頃でありまする。

この時期ビールじゃ酔えませぬ。
寒さが増せば冷や酒でも酔えませぬ。
チューハイだって却下です。
水割りだって酔えませぬ。
オンザロックも酔えませぬ。
こんなに寒い夜は熱めの燗が最高です。
濃いめのお湯割りが最高です。
熱いおでんでのごまかしも認めます。
とにもかくにもこの時期は
体を冷やさないことが大切なのです。
内臓を冷やさないことが大切なのです。
寒さに凍えないことが大切なのです。
別に健康などを気遣っているわけではなくて
凍えるといい具合に酔えなくなるからで
というかまったく酔えなくなるからで
とにかくお酒は気候に適した飲み方が肝要で
でないと、おいしい具合に酔えませぬ。

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