吹く風

人生万事大丈夫

2010年08月

(朝)
・・・・パトカーに捕まった車が一台。
場所は国道脇の側道で、きっと
一時停止を怠ったのだろう。そこは
交通量の少ない短絡線が優先で
その道と交差する、より交通量の多い
本線のほうが止まれになっている。
しかも横断歩道のせいで
『止まれ』標識の影が薄くなってしまい
見逃す人がけっこういるのだ。
その見逃す人を狙って、いつもいつも
パトカーが張り込んでいる。・・・・

(昼)
・・・・白バイに捕まった車が一台。
白バイがサイレンを鳴らしたのは
夕方の渋滞が一段落した幹線道路。
これは紛れもなくスピード違反だ。
起伏がなく、道幅が広く、見通しがいい
2キロほどの直線コースとくれば
渋滞してなければ誰でも飛ばしたくなる。
ま、その誘惑にかられる方が悪いのだろうが
どうすれば誘惑にかられないようになるのか。
取り締まってばかりいずに
そういう対策を練ったことがあるのだろうか。
と、ここを通るたびに、ぼくはいつも思う。・・・・

(夜)
・・・・嫁さんを迎えに行く途中。
数台のパトカーとすれ違う。きっとまた
警らという名の取り締まりなのだろうが
そうやって車ばかりいじめずに
少なからず事故の原因となっている
自転車を取り締まれよ。車の場合、いくら
一時停止を怠ってもスピード違反しても
とりあえずは自分や他人の
身の安全だけは考えているはずだ。
だけど自転車は違う。
とりあえずは他人どころか自分の
身の安全も考えていない。というか
安全とは何であるかを知らない輩が多すぎる。
音が出ないから目立たないけど、暴走族以上に
無茶苦茶な運転をする奴がいくらでもいる。
無灯火、ケータイ、喫煙、飲酒、蛇行、逆走。
中には真下を向いて運転している奴もいる。
ほら、また無灯火だ。
こいつらをどうにかしろよ。・・・・

・・・・
ドブドブ、ドブドブ、ドブドブと
聞き慣れない音の雨が降る。
ブカブカ、ブカブカ、ブカブカと
聞き慣れない音が窓を打つ。
もはや意味のなくなったワイパーは
面倒くさそうに水の中を動いている。
窓の景色はゆがんでいるのか。
いやいや、雨でにじんでいるのだ。
水と空気の対比はほとんど9:1で
10:0にならないのは、何とか地面に
タイヤが触れているからなんだな。
いずれにしても、このまま走っていては
危ない。と、さっきからぼくは
広めの路肩を探している。・・・・

・・・とにかくよく歌う奴らだ。
現在ぼくたちを含めて
三組の客がいるのだが
他の二組がカウンターを占領し
競い合って歌っている。
元々『ママさんと本音で語る』
ということを主にしたような店で
カラオケはたまにしかやってなかった。
ところが最近はカラオケスナックという
位置づけでやってくる人が多くなったようだ。
店の中はさほど明るくなくて
BGMは期待に違わずジャズ、そういう
大人のムード満点の店のわりに料金が安く
さらにカラオケもOK。ということで
『行きつけのスナックを持っている大人の男』
を演じたがる若き上司たちにとって
うってつけの店になっているのだろう。

しかしよく歌う。歌う。大声で歌う。
息つく暇もなく歌う。歌うだけだ。
他人が歌っている時は聴いてない。
かといって歓談しているわけでもない。
各々が必死に次の歌を探しているのだ。
とにかく早い者勝ちで
相手に譲ろうという姿勢も見えない。

こんなのを延々やられるものだから
たまったものではない。
元々ママさんと語りに来たぼくたちだったが
隅のボックスに追いやられているために
肝心の語りが出来ない。
いよいよ我慢の限界に来たぼくは
そこにあったギターを手に取り
おもむろに歌い始めた。
斉藤哲夫の『されど私の人生』
この歌はこういう場面によく効く。・・・・

実際は30日なのだが
こちらの都合と坊さんの都合で
父の弔い上げを昨日行った。
今回が五十回忌だから
あれから49年経ったわけか。

昭和36年8月30日未明
トントンと玄関を叩く音が聞こえた。
「こんな時間に何やろうか?」
と母が起き、玄関を開けた。
そこにいたのは父の会社の人だった。

夜勤で働いていた父が
機械に巻き込まれたということだった。
本当は即死だったらしい。だが、
会社側は病院搬送中に死亡と発表し
新聞にもそう載った。

夜が明けて病院に行くと、唇が
青くなった父がベッドの上にいた。
それを見て、当時三歳のぼくは
わけがわからないままに
父の死を受け入れた。

以来父は仏壇上に飾られた
大きな写真の中から
ぼくを見つめる人となった。
その写真を見てぼくは
時々思うことがあった。

もし父が生きていたとしたら
強い性格になっていただろうか。
家族仲は良かっただろうか。
この地に住んでいただろうか。
嫁さんと巡り会っていただろうか。

法事の最中、坊さんのお経を聞きながら
ぼくは考えていた。もし四次元に行って
あの事故の記載がないページを
開くことが出来るとしたら
ぜひ、それを体験してみたいものだと。

16:45
・・・事故か。上り車線の真ん中で
二台の軽が頭を突き合わせている。
あらら、二台ともボンネットが
開いているじゃないか。きっと
直進車と右折車がぶつかったんだろうな。
いったい誰が運転しているのだろう。
二台の車の運転席には、同じ色の
作業着を着た兄ちゃんが座っている。
おそらく同じ会社のものだろう。
ということは同じ会社の人間が
ぶつかったということか。ん?
ちょっとおかしい。二つの車の間に
赤と黒の線が見えている。あれは
どう見てもブースターケーブルだ。
ということはバッテリーか。
なーんだ、事故じゃなかったのか。
しかしまた何であんなところで
バッテリーが上がったんだろう。
やはりこの暑さのせいなのか。
二台の軽はほどなく動き出した。・・・


18:17
・・・タコさんの横にきれいな女性が立っている。
『もしかしたら、タコさんの姉さんかもしれん』
顔は似ていないが、そんな気がする。
「あ、しんたさんだ。わたしの姉ちゃんです」
はいはい、やっぱりそうか。
「いつもお世話になっています」と
ぼくは月並みな挨拶をする。
「あ、お世話になってます」と
お姉さんが会釈をしながら返す。
「大変な妹さんですね」と
ぼくは間髪を入れず言う。
「やっぱり」と
お姉さんはニヤリと笑う。
「ひどい」と
タコさんはムッとした顔をする。・・・

あいつはそこにいるんだけど
なかなかこちらに気づいてくれない。
お互い教室の中を
行ったり来たりしているんだけど
なかなかこちらに気づいてくれない。
あいつはいつもの連中と歩いている。
その連中との談笑に忙しそうだ。
ぼくもいつもの連中と歩いている。
だけどあいつの姿に気が行っている。
「おい、おれに気づけよ」と
ぼくは心の中で叫んでいる。
「おい、おれの方を向けよ」と
ぼくは仕草の中で叫んでいる。
高校の三年間、ぼくは
ずっとこんなことをやってきた。
いや、もしかしたら、ぼくはいまだに
そんなことをやっているのかもしれない。
だって、三十数年経った今もなお
あいつはそこにいるんだけど
こちらに気づいてくれないんだから・・・・。

この夜はあまりに暑い。
風がまったく吹かんのです。
汗は止まらん。体はベトつく。
すでに頭は冒されている。
しかたなく埃まみれのエアコンの
赤いスイッチに手をやった。今年二度目だ。
これで冒された頭から、体のベトつきから
止まらん汗から、ようやく解放される。
別に長くつけておく必要はない。
ホンのしばらくでいいんだ。
いったん部屋の熱を鎮めれば充分で
寝る頃には冷やい風も吹いてくるだろう。
さあ冷媒よ。来なさい、来なさい
来なさ・・・。えっ、来ない。
全然来ない。まったく来ない。
代わりにきたのは、呼びもしない
もわーっとした、ぬるーい風だ。
なんじゃこりゃー。
おーい、エアコンよ、壊れたのかー。
それとも、それともガス欠かー。
これまでずっと休ませてあげたのに
肝心の時に役に立たんとは、何事だ。
こーの根性無しが!

・・・・ええ、言われましたよ。
何であんなに短くしたんだって。
時間はたっぷりあったんだし
一曲通しで歌うとか、もしくは
もう一曲歌うとか出来たんじゃないかって。
ま、言うのは簡単ですけどね。
実際やっているほうはきつかった。
終盤だったので、けっこう酒も入ってたし。
会場はワイワイガヤガヤして
誰も聞いているふうでもなかったし。第一
肝心の新郎新婦がいなかったじゃないですか。
何が「素敵な歌のプレゼント」ですか。
受取り手のいないプレゼントほど
むなしいものはないでしょう。
だから、どうでもいいやという
投げやりな気分にもなったんです。
でも、ギターを弾いて歌っている
ぼくの姿を写真に収められたわけだし。
それで披露宴のアルバムの
一コマが埋められたわけだし。
よかったんですよ、あれはあれで・・・・

前々から欲しかった、ちくま文庫版の
『つげ義春コレクション』を手に入れた。
一冊一冊は千円以下で
そこまで高くはないのだが
全9巻揃えると、そこそこの額になる。
そのそこそこの額に縛られていたせいで
これまで手を出せずにいたわけだ。
「どこかで吹っ切らないと
廃刊にでもなったら困る!」
と、ようやく踏ん切りがつき
財布のヒモを緩めたわけだ。
しかし、買ってよかったな。
つげさんの作品はエッセイも含め
たいがい読んでいる。だけど
今回は宝物を手に入れたようで
なぜか嬉しい気持ち一杯です。

十二支の丑を数字に置き換えると2になる。
十二進法だから、2の次にくる丑の数字は
12を足して14、次は26。
以下38、50…と続いていく。

何で丑の数字を持ち出したかというと
ぼくが好きになる女性は
不思議と名前に丑の数字、つまり
姓名判断の拠り所となる『画数』に
14だとか26だとかを持っている。
いや、別にその画数を持っている人を
選んで好きになっているわけではない。
過去に好きになった女性を調べてみたら
みな、丑の画数を持っていたのだ。
もちろん嫁さんも持っている。
そんなの偶然…、ではない。
好きになったのは、決して
一人や二人じゃないのだから。

ところで、どうして丑の数字を持っている
女性ばかりを好きになるのかだが
どうもそこには四柱推命の絡みがあるようだ。
四柱推命の書物をひもといてみると
ぼくの生年月日時にとって丑というのは
最大の吉数になっている。当時
好きな人に会ったり思ったりすると
幸せな気持ちになれたのは
きっとそのせいなのだろう。
やはり四柱推命という占術は最強だ。

中学生の頃だったな。
居間で昼寝をしていた時に
玄関の扉をトントンと叩く音がした。
誰だろうと思いながら
目を覚ましてみると、そこに
ぼくの顔を覗き込んでいる人がいた。
胸に大きな名札をつけ
モンペをはいた婆さんだった。
誰だか思い出せない。
というか、知らない人だ。
ということは『夢だ』と
単純でのんびりした性格だった
当時のぼくは思い、また目を閉じた。

しかしおかしい。玄関のトントンは
ずっと続いているのだ。
『やはり夢じゃないのか』と
再び目を開けてみると、まだそこに
先ほどのモンペ婆さんが立っている。
起き上がって「誰だ!?」
と言おうとした。ところが
体が動かない、声が出ない。
その状況にイラついたぼくは
そのモンペ婆さんを振り払おうと
力任せに手を振った。その瞬間
場が変わったように感じた。と同時に
モンペ婆さんはいなくなっていた。

玄関のトントンは現実だった。
友だちが遊びに来たのだ。
おそらくトントンの音に焦ったぼくが
異次元の扉を開いたのだろう。
で、モンペ婆さんは誰だったのか?
当時住んでいた所は埋立地で
家の裏には防空壕の跡があった。
モンペ婆さんは間違いなく
戦時中の格好をしていた。
ということは、その頃に空襲か何かで
亡くなった人だったのではないか。

十数年後にその場所を訪れてみると
家はすでに取り壊されており、跡地は
駐車場になっていた。その時そこに
一人のじいさんがやってきて
おもむろに塩を撒き始めた。ぼくが
「何をやっているのですか?」と尋ねると
「あんたには見えんのですか?」と言った。
そのじいさん、一ヶ月後に死んだらしい。

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