吹く風

2010年04月

妻の入れたコーヒーの
香りで夢を見終わって
妻の入れたコーヒーの
香りでゆっくり目が醒めて
妻の入れたコーヒーの
香りで朝に気がついて
妻の入れたコーヒーの
香りで今日を迎え入れ
妻の入れたコーヒーの
香りで心が落ち着いて
妻の入れたコーヒーの
香りに今日を占って
ああ、今日という一日も
格別にいい日に違いない

二、三十代の頃は
他人のその後が気にかかり
誰がどこに勤めている
誰と誰と誰が結婚した
誰がどこに住んでいる
という話題を肴に
おいしい酒を飲んでいた。

四、五十代になっても
他人のその後が気にかかり
誰が出世している
誰の子がいい大学に入った
誰が離婚した
という話題を肴に
ホロ苦い酒を飲んでいる。

六、七十代になったとしても
他人のその後が気にかかり
誰が死んだ
誰が死んだ
誰が死んだ
という話題を肴に
酔えない酒を飲むだろう。

夏に鳴く蝉の声は
街でも家でもどこででも
嫌というほど聞こえるが
春に鳴く蝉の声は
山とか森とか渓谷だとか
そこに行かねば聞こえない。
物珍しさに触れようと思ったら
行動を起こさなければ
どうしようもないってことだ。
ねえ、わかりましたか。
ちゃんと聞こえましたか。
今日という日を何もせずに
ただダラダラと過ごしていた
「ぼく」という名のあなたに
言っているんですよ。
言い聞かしているんですよ。
楽観できない状況のはずなのに
まったく緊張感がないんだから。
いいですか、本当にいいですか
「また明日」という名の
明日なんてどこにもないんですよ。

今は寂れているものの
かつて「吹く風通り」という街は
大きく栄えた街だった。
毎日が祭りのように人が群がり
涙と笑いの生活芝居を演じていた。
何で「吹く風通り」という名が付いたのか
それには諸説いろいろあって
一番有力なのが、風向きに左右されて
生活してきたからだ、という説だ。
江戸期には海上交通の要所として
大きく栄えていたものの
風の吹く日には港が閉じられ
時には人の通わぬことが幾日も
続くことさえあったという。
明治に入ってからは工業の要所として
国の歴史を担ってきたが
社会が起こす風によって
いつも景気は左右され
あげくに戦争で壊滅された。
その後は人の気分という風に吹かれて
一喜一憂を繰り返していたが
世紀末からの不況の風に吹かれて
一気に街は廃れてしまい
今まだ港は閉じたままだ。

いずれはまたこの「吹く風通り」も
風に吹かれてよみがえるだろう。
だけど一部のロマンチストが訴える
「星のきれいな海岸通り」という
この街の背景に似合わぬ
ただ言葉尻がいいだけの、安易な
ネーミングだけはやめてほしい。
ぼくたちの望んでいるものは
あくまでも長い歴史のある
「吹く風通り」の復活なのだ。

ぼくらの住んでいるこの街には
かつて数多くのヨードチンキが並び
のどを腫らした人たちが列をなして
それを買いにやってきていた。
塗るとほんのり甘く、決まって
「ウェッ」となってしまうが
それでも人々はヨーチンを
われ先にと買いにやってきた。
それがのどに有効なのを
人々は知っていたからだ。
ところがいつのまにかヨーチンは
ぼくらの街から消えていき
のど飴に取って代わられた。
今はヨーチンの存在も忘れられ
のどを腫らした人たちは
砂糖たっぷりの太るのど飴や
ノンシュガーのお腹の緩むのど飴を
ムキになって買い求めている。

一日に何十人いや何百人の人と
すれ違っている。
そのほとんどが赤の他人で
おそらくは初めて見る人たちだ。
だから心に引っかかりもなく
スラスラと流れて行くのだ。
時には意味ありげに
こちらを見ている人もいるが
だいたいが人違いのようで
近くまできて気がつき
通り過ぎる時には
すでに知らん顔をしている。

その逆だってある。
つまりぼくが相手を
意味ありげに見ているわけだ。
ただぼくの場合は、相手の顔を
最後までしっかりと見ている。
「もし人違いだったらどうしよう」
と考えるより先に
「もし本人なら無視できない」
という気持ちになるからだ。
だけど、だいたいが人違いで
あとは笑ってごまかしている。

ところが笑っているぼくに対して
もう一人のぼくが納得できないのか
「本当に知らない同士なんですか」と
ささやきかけてくることがある。
心の声にそう言われると気になって
つい振り返って相手を見てしまう。
すると不思議なことに、そういう時は
相手もぼくを見ていることが多い。
「やはりどこかで会っているんだ」
そう確信するも思い出せない。
この人生を振り返っても出てこない。

案外、その人との出会いは
前世にあったのかもしれない。
ということは、そういう縁を
持っている人ゆえに、再び
どこかで会うのかもしれない。
しっかり顔を憶えておかないと
その時にまた、この人生を
振り返らなければならなくなる。

三ヶ月続いた仕事が一段落し
その疲れを癒すために
ちょっとした連休を取っている。
連休といっても
特別なことをするわけではない。
家でボーッとしているだけだ。
それで充分なのだ。
好きな本を読んで
好きなビデオを見て
好きな時に横になって
好きな時に風呂に入り
好きな時にトイレに行く。
仕事の日には、そんな
簡単なことすら出来ないのだ。
普段出来そうで出来ないことを
意識せずにやれるのが休みなのだ。
別に特別なことなんかしなくても
充分に心は癒えるものだ。

テレビや映画などで
他の国の宗教的な儀式を見ていると
けっこう笑えるものがある。
そのことをするために、何で
あんな回りくどいことを
やらなければならないのか。
その行為がくどければくどいほど
笑いが出てしまう。まあ
その国の人たちにとっては
真剣な行為なので、笑ったりすると
不謹慎と言われるかもしれないが
日本人の感覚からすれば
やはり笑えるのだ。
裏返して言えば、他の国の人たちも
我が国の宗教儀式を見て
笑っていることだろう。例えば
神社に行って、何度も何度も
頭を下げている日本人を見て
おかしくてしょうがない人たちも
きっといるはずだ。
祭りの時のふんどし姿を見て
大笑いしている人もいるに違いない。
まあそれも仕方ないか。何せ
チンチンを拝んでいる国だからな。

あっ、また二本足が来た。
今度は白い髪のおっさんだ。
奴らはオレの姿を見ると
なぜか襲いかかってくるんだ。
若い女は「キャー、キャー」と
甲高い声をあげて襲ってくるし
バアさんは「チッチッチ」と
舌を鳴らして襲ってくる。
ガキまでもがオレを見ると
大声を上げて襲いかかろうとする。
一度ガキから尻尾をつかまれて
往生したことがある。
オレが何をしたというんだ。
何もしてないじゃないか。
オレはただこのベンチに
座っているだけなんだ。
そのことで二本足たちに
迷惑をかけた覚えなんかない。
久しぶりのポカポカ陽気なのに
寝入りばなを襲ってくるので
ゆっくり昼寝もできないじゃないか。


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腰の痛みを抱えた状態で
二十年以上生きている。
腰痛のなり始めはかなり痛く
整骨院などに通うこともあったが
そのうち痛みを散らす術を覚え
以来何とかやってきた。

痛みを散らす術とは
背骨の節と節の間にある痛みを
押しほぐす技である。
指がその場所を触れると
飛び上がるほど痛いが
我慢して押していると
そのうち痛みも和らいできて
痛気持ちいい状態になってくる。
これをしばらくやっていると
その日一日を生き延びることができるのだ。

通常はこれでいい。
ところが季節の変わり目などに
腰全体がだる痛く感じることがある。
そういう状態に陥った時は
背骨の節と節の間といったような
痛みの場所が特定できないものだ。
だから手の施しようもなく、日をかけて
痛みが去るのを待つしかなかった。
ところがそういう状態に陥ったある日
ファンヒーターの温風を
お尻に当てながら寝ていたら
目が覚めた時に痛みがスッキリ
なくなっていたことがあった。
翌日も翌々日も
痛みはぶり返さなかった。
以来季節の変わり目は、その
温風の術を駆使するようになった。
一度それをやっておくと
次の季節を生き延びることができるのだ。

これらの術は
誰彼に教わったのではない。
本能が教えてくれたのだ。
ゆえにぼく個人にしか
通用しない術なのだと思うが
実にありがたいことである。

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