吹く風

2009年05月

メキシコから一時帰国していた姪が、
先日メキシコに戻って行った。
半月以上滞在したが、
姪はいたって健康で、
旅行をしたり、
昼寝をしたり
休みを充分満喫していた。
先週騒ぎが終息に向かっていると、
現地から連絡が入り、
姪の初夏の休暇は終わった。
メキシコに戻る前日のこと、
姪の住んでいる市の近郊で、
新型ウィルスの感染者が見つかった。
姪とはまったく無関係だが、
もしまた現地で
新型インフルが流行ったりすれば、
疑いは姪に向けられるんだろうな。
日本から逆輸入とか言われてね。

何の勘違いか知らないが、
急に寒気に覆われて、
五月に冷たい風が吹く。
もう六月がくるというのに、
もう衣替えも終ったというのに、
五月に冷たい風が吹く。
実は冷夏の前触れなのか。
浮かれた人への警鐘なのか。
五月に冷たい風が吹く。
吹いてはか細い雨が降る。
慌ててぼくは厚着をする。
五月に冷たい風が吹く。
…五月に冷たい風が吹く。

自分の人生の中で培われた考えが
そっくりそのまま書かれている、
そんな本に出会うことがたまにある。
「ああ、これを書いた人も
 同じ生き方をしてきたんだな」と
まるで生涯の友にでも出会ったような
大きな喜びを得るものだ。
そういう本はなぜか、
自分を変えてやろうと意気込んで読む、
生き方だの思想だの哲学だのといった
小難しいものに少なくて、
トイレなんかで読み流す
小説やマンガなんかに多いのだ。
所詮は臭い考えということなのか?
臭さに意味があるということなのか?

新型ウィルスに感染するのは主に若い層で、
年配層は免疫があるから感染しにくいと言っている。
新型というくらいだから新型であって、
過去には存在しなかったはずだ。
ということで、
「では、その免疫はどうして出来たのだろう?」
という疑問になる。
年配層のほとんどの人が感染したウィルス、
そんな特殊なウィルスなんて聞いたことはない。
それならぼくも感染しているはずだが、
感染した憶えはない。
だから類似ウィルスの感染で免疫が出来た
という線は考えられない。
「ということは…」とぼくは考える。
「それは今はやってないが、
 過去にやっていたことと関係あるのでは?」
つまり若い層はやってないが、
年配層のほとんどがやっていること。
といえば、あれしかない。
若い層の腕にはないが、
年配層の腕にあるあれ、
そう疱瘡だ。
種痘の始まりは牛がらみで、
新型ウィルスは豚がらみだ。
当然牛のほうが高価だから、
豚は太刀打ちできない。
太刀打ちできないとなれば、
「お呼びでない」と退散するしかない。
というわけで疱瘡が免疫となった。
…という仮説は成り立たないかな。

暑さを楽しむ季節がやってきた。
ベトつくのが嫌だから、
趣味の長湯をきっぱりとやめて
シャワーでさっと汗を流す。
シャワーをさっと浴びた後は、
エアコンなんかに頼らずに、
自然の風に肌を任す。
実に心地よいものだ。
これがぼくの、
いつもの夏の風景だ。
もう少し季節が暑くなると、
スイカや氷がこれに加わる。
無駄な電気やガスを使わずとも
涼は充分に取れるもんだ。
これこそエコに適うじゃないか。
おそらくは五つ星だ。
エコポイントをくれんかな。

目を閉じると心の中で
現実とは違った物語が展開している。
そのことについて、
現実の自分はまったく知らないのだが、
心の中の自分はそのことにえらく精通していて、
「先日のあの件はどうなっているのか?」
「あの件については、こうこうこうなっている」と
そこに登場する人たちの質問に、
いちいち詳しく答えている。
しかし目を開くといつも、
『あの人たちは誰?』
『あの件とは何?』
などと自問している。
心の中で別の自分が生活しているのだろうか?
年を重ねるごとに、
こういうわけのわからないことが、
多くなっているように思う。

いつの頃からだろう
体をちょっと動かしたり
風呂に浸かっていたりすると
頭から汗を掻くようになったのは。
とにかく汗が出る。
土砂降りの雨を頭からかぶったかのごとく、
背中に向けて汗が際限無く落ちてくる。
おかげでシャツはびしょびしょで、
車にはいつも着替えを置いている。

元来汗かきの体質ではなかったので、
最初は体に異変が起きたのかと思ったほどだ。
だけど体に違和感は見当たらないし、
汗を掻いた後で飲むビールはおいしいし…。
一度あまり気になったので、
健康診断の時に相談したことがある。
ところが医者はまったく気にもかけない様子で、
「ああ、そうですか」と軽く流された。
何を聞いてもそれ以外の答は出てこない。
あまり馬鹿らしくなったので、
それ以来医者に汗の質問はしていない。
だから今は汗が出ても、
気にしないことにしている。
びしょびしょになるのは嫌だけど、
「ああ、そうですか」で済ませている。

親戚の家にリックという
オスのミニチュアダックスがいる。
かなり前から飼っていて、
人間の年にすると
もう七十歳を超えているという。
なるほど目は白内障になっていて、
歩きもヨタヨタしている。

ところがそのリック君、
そんな体になってはいても
あちらの方は元気な様子で、
何かにつかまっては
必死に腰を振っている。
それが原因になっているのだろうか、
ヘルニアにもかかってもいるという。

そういえばこのリック君、
ずっとお座敷で飼ってきたせいで
メスとの接触がまったくなくて、
この年まで童貞で通してきたらしい。
そのせいかもしれないが、
お気に入りの対象が
ちょこっとずれているようにも思えるな。

申し訳ないけどリック君、
ぼくの足はメスではないんだよ。

マルちゃんという高校時代の旧友がいる。
いや今でも年に何度か飲みに行く仲だから、
旧友というよりも飲み友だち
と言ったほうがいいかもしれない。
ぼくはこれまでマルちゃんと会うといつも
「今度の飲み会はいつにしようか?」
と、挨拶代わりに言っていた。
だけど最近その言葉を変えた。
それは「呼子にイカを食いに行こう!」で、
「マルちゃんの車でね」
と、必ずその後に付け加えている。
マルちゃんは当惑した顔をする。
だけど地球を守るのは人類の務めだ。
マルちゃんはプリウスに乗っているのだから、
それを通勤だけに使うのは、
地球のために決して許されることではない。
遠出をしてこそ
充分にその務めを果たすことが出来るのだ。
だから呼子にイカを食いに行くんだよ、
マルちゃんの車でね。

ちょっとばかりその気になれなくて
そのままズルズルと行ってしまうことがある。
とりあえずノルマなんか考えているもんだから
「何やってるんだ。このままじゃだめだ」
と急に焦りを感じだす。
焦りは力みを生み出して、
力むとうまくいかなくなる。
そして深みにはまってくると
人生までも恨むに到り、
ついついこの言葉を吐いてしまう。
「おれの人生はスランプなんだ」
すると心はスランプという言葉に引っかかり、
結局本当にスランプになって、
何年もそこから抜け出せない。
いったい自分に何を期待しているんだ。
何も考えずにやっていけば、
何も問題なかったのにね。

マルクスに傾倒した一部の人たちが、
それを自分たちの思想とし理想とし、
世の中を変えようと思い立った。
周りの多くの人たちは、
ただ革命という言葉に憧れて、
その人たちに追随した。

さて革命が成功してしまうと
彼らはやることがなくなってしまい、
今度は仲間割れを始めてしまった。
そこにはマルクスの思想はなく、
ただ孫子やマキャベリといった
権謀術数だけがあるだけだ。
結局は運のいい人たちが勝ち残り、
我が世の春を謳歌した。

マルクスが死んで百数十年、
気がつけばメタボな数値の人たちが、
歴史に名前を残してしまった。

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