吹く風

2009年04月

ぼくの住むマンションの入口や
エレベーターにある掲示板には
管理組合からのお知らせが、
回覧板代わりに何枚も何枚も貼っている。
そこにはエレベーターの点検や、
マンション廊下のワックスがけなどの
実施予定日時が書かれていて、
その都度都度に貼り替えられている。
何枚も貼っているおかげで、
嫌でもそれが目について、
嫌でもそれを読んでしまう。
おかげで外出や商品搬入などの予定が立つし、
わりと役に立っている。

それはそれでいいのだが、
その都度都度に目を疑うことがある。
一月も二月も三月も、その他のどの月も
「梅雨の候」で文章が始まっているのだ。
最初にそれを見つけたのは一昨年末で、
それから毎度同じ出だしなので、
「梅雨の候」というのがマンションお知らせ文章の
慣例となっているのかと思ったほどだ。

おそらくは「お知らせフォーマット」があって、
そこに行事や日時を書き入れていくだけで、
時候の挨拶などは無視してしまっているのだろう。
おかげでぼくの住むマンションは、
年がら年中梅雨の盛りだ。

薄型テレビを買おうと思っているので、
薄型テレビの情報収集に忙しい。
ブルーレイも買おうと思っているので、
ブルーレイの情報収集に忙しい。
ついでに車も欲しいので、
ついでに車の情報収集に忙しい。
そのためにお金を稼がなくてはならないので、
そのためのお金を稼ぐ情報収集に忙しい。
今の夢が成就すればお金が入ってくるようなので、
今の夢を成就させる術の情報収集に忙しい。
手っ取り早く夢を成就させたいので、
手っ取り早く夢が叶う神社の情報収集に忙しい。
今は姪がメキシコに留学しているので、
今は豚インフルエンザの情報収集にも忙しい。
かつて祖父がかかったことがあるので、
かつて祖父がかかった結核の情報収集に忙しい。
こうやって情報収集ばかりやっているので、
どうやって情報収集するかの情報収集に忙しい。

ぼくが社会に出る頃まで、
石炭で風呂を沸かしていた。
釜の中に石炭を敷き、
その上に紙や材木を置き、
新聞紙やチラシを丸めて火をつける。
そして石炭に火がつくまで、
紙や木を足していくのだ。
石炭に火がつけば、
あとは火が消えないように、
何十分か置きに石炭をくべていく。
夕方になれば、
どの家の煙突からもモクモクと、
勢いよく煙が出ていた。
その煙のにおいが町を覆う頃、
夕方は夜に変わっていた。

時が流れて今は、
ガスや電気で風呂を沸かす。
いや沸かすのではなく、
ほどよく沸いた湯を
浴槽に張るだけでいい。
便利な世の中になったものだ。
で、石炭はというと、
この辺で使っている家は、
すでにないようだ。
もしあったとしたら、
夕方のにおいを知らない人たちから、
異臭がするなどと抗議が出て、
最後は撤去させられてしまうだろう。
懐かしい風景はこうやって、
ひとつひとつ消えていくんだ。

この辺りの学校の校歌に必ず名前が出てくるので、
この地域の人なら誰でも知っているのだけれど、
半数以上の人がその場所を正しく答えられない、
不思議な山がある。

ぼくも場所を正しく知らない一人だったわけで、
高校の校歌の中に、
その山を背に置いていると謳っているために、
てっきり学校の裏山がその山だと思い込んで、
長い間調べることもしなかった。

それが間違いだったのを知ったのはつい最近で、
防災マップを見ている時に、
高校の裏山の横にある小さな山に、
その名前がついているのを見つけたのだ。

何のことはない、
幹線が渋滞した時の抜け道として、
週に何度も走っている山だ。
中腹にはぼくの通った自動車学校があるし、
そこにはご先祖様のお墓まである。

高校を卒業して数十年経つけど、
何と長い間騙されていたことだろう。
そもそも校歌が嘘をついちゃいかんだろう。
ああ、そうか。校歌を作詞した人もぼくと同じく、
その場所を正しく知らない一人だったということか。

ゴールデンウィークとは無縁な仕事に就いているもんで、
今年の休みがどうなっているのか知らなかった。
なるほど暦通りであれば4月は29日、
5月は2日から6日までが休みなのか。
メーデーなんていうのもあるから、
それを含めると5月は、
1日から六連休ということになる。
明日から6日まで休みだと言う人もいる。
まるで小学校の春休み並みだ。
それが終わってお盆が来たら、
また休み。
そういえば今年から、
秋のゴールデンウィークというのもあるんだった。
正月、GW、お盆、GW…、
年中休みだらけということか。
まあこれだけ休めば
ストレスもほどよく解消されて、
酒で紛らわすこともなくなるだろうから、
裸で暴れたりもしないだろうな。

小学生の頃、
野球を見に行くと、
決まってコーラを注文していた。
特にコーラが好きだったのではない。
アルバイトの兄ちゃんの
コーラの注ぎ方がかっこよく、
それが見たかったからだ。
片手で栓を抜いて、
素早く紙コップをかぶせて、
そのままビンを逆さまにすると、
コーラが下のほうから湧いてくる。
その一連の作業を素早くやってのける
兄ちゃんたちがまぶしくてまぶしくて、
まるで魔術師のように思えたものだ。
あれから数十年経った今
球場でコーラを頼むと、
缶から紙コップに地味に注ぐだけで、
かっこよさの欠片もない。

そういえば最近、
ビンのコーラを見かけなくなった。
そこにはいろんな理由もあるのだろうけど、
実はかつてコーラを片手で
かっこよく注いでいた兄ちゃんたちが、
還暦を迎える年になったから
…かもしれないな。

小学生の頃までは人と競争することなんて、
まったく興味がなかった。
ただただその日が面白ければ、
それでよかった。
かけっこで負けたって、
ヒットが打てなくたって、
悔しいなどとは少しも思わず、
それをどう笑い話に持って行こうか…
なんて考えている変な少年だった。
ところが青春という時期に入ると、
なぜか人目を気にするようになり、
それが負けん気につながった。
勝手に人をライバル視しては、
「こいつには負けたくない」
なんて思うようになったのだ。
成長ホルモンでも関係していたのだろうか、
とにかく人に負けるのが、
いや、イヤ、嫌なのだ。
それゆえ意地を張るようにもなった。
「こいつらと同じ運命を歩いて行けるか」と、
一人孤独を装ったり、
意味なく部活を辞めたり、だ。
果ては同じような理由で会社を辞めて、
今なお続く波瀾万丈に繋がっていく。

ああ、ぼくのおかしな人生は、
青春時代から始まっているのだ。

夢の中で知らない人が、
しきりに「井上陽水風料理、
井上陽水風料理」と叫んでいた。
それを聞いてぼくは「うんうん」と、
納得して、理解して、
深くうなずいていた。
ところが目が覚めてみると、
井上陽水風料理の
意味がさっぱりわからない。
いったい何を暗示しているのだろう。

生まれた時から今この時まで、
脳は一つ一つのことを
鮮明に記憶しているという。
普段忘れていることでも、
何かの拍子に思い出したり、
催眠術で記憶を蘇らせたりできるわけだから、
その意見は正しいのだと思う。

だけど最近、
ぼくはその、ほぼ常識的な意見に疑問を抱くようになった。
頻繁に既視感や予知を体験するようになったせいだ。
それらの体験が日常生活上のことに限られているせいで、
最初は特別のものとしてとらえてなかった。
ところが何度もそういう体験をしているうちに、
これはおかしいと思うようになった。
とはいえ自分に予知能力があるなんて端から思ってないから、
違う方面に答を求めたのだ。

その結果、
実は記憶が先にあって、
その記憶に沿って人間は生きているのではないか、
と思うに到った。
もちろん体験するまでその記憶は意識上には現れない。
ところが何かの拍子に意識上に現れることがある。
そこをとらえて、
人は既視感だとか予知予言だとか呼んでいるのだ。
そうだとすれば、
「予知能力は特別なものではなく、
誰にでも備わっているものだ」
という専門家の意見も容易に頷ける。

というわけで今ぼくは、
そういうことを考える記憶を歩いている最中だ。
実に楽しい。

元来うどんが大好きで、
昼食は必ずと言っていいほど
うどん屋に入っている。
他の料理を注文しようと思っても、
あのにおいがするともうだめで、
つい口がうどんと言ってしまうのだ。
さて、そのうどんを食べている最中、
どこからともなく場に合わない
妙な臭いが漂ってくることがある。
香水である。
それはそれは迷惑な臭いで、
それが鼻をついたとたん
味が変わったようにさえ思えて、
食べる気が一気に失せてしまう。
臭いの元がお客なら、
まだ我慢もするんだけれど、
それが従業員だったりするから
腹が立つ。
いくらおいしい店でも、
いくら便利な場所にあっても、
そういう店には二度と行かない。

ああ、ここはそうじゃない、
ああ、そこはこうじゃない、
そんなことばかり口走っては、
朝から晩まで同じ思考を繰り返している。
元々答なんかないんだし、
ない答はいくら探したって出てこない。
いろんな流れが行き着いた、
今の姿こそが実は答なんだ。
そうだ、
そこに気がついたんだから、
今日は好運なんだ。
思考も袋小路に入ってしまうと、
煩悩と何ら変わらなくなる。
そろそろこの思考を終わらせて、
前頭葉に風をあてよう。

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