吹く風

人生万事大丈夫

2009年03月

職場にいるアルバイトの女の子が、
この三月に大学を卒業した。
卒業式は「もちろん袴を履いて」参加したそうだ。
ぼくらが学生の頃はあまり見かけなかったが、
最近は袴が流行りなのだという。

ぼくが女性の袴姿を初めて見たのは、
小学校の卒業式の時だ。
その年満期となる四組の担任が
袴履きで式に臨んでいたのだ。
スーツだらけの先生の中で
まさに異彩を放っていたものだ。

柔和で弱々しい印象の先生だったが、
その日の彼女には凛とした強さがあった。
普段の見慣れた洋装ではなく、
袴のせいでそう見えたのかもしれない。

先生は高等女学校から師範学校を経て
教師になったと聞いている。
きっと聖職者としての教育を受けた者の
歴史と誇りがその姿に凝縮されていたのだろう。

少しでも早く家に帰って
少しでも長く風呂に入るのが、
ぼくの目下の楽しみだ。
長風呂といったって、
別に子どもの頃のように
船や潜水艦のプラモデルを持って
風呂に入るわけではない。
ただその日目にとまった本と
たまにアイスクリームを持って入るだけだ。
それだけで二時間は過ごせるな。

昔はなあ、
教科書に落書きをしただけで
放課後ビンタだった。
でもね、
ぼくたちはそれを苦にはしなかったんだ。
なぜなら先生から殴られることは
一つの勲章だったからだ。
もちろん親になんか言わなかった。
言えば男が廃れるからだ。
仮に言ったとしても、
取り合ってもくれなかったけどね。

基本は土を踏むのと何ら変わらないのですが、
それを踏んだとたん、
それまでの環境が一変してしまうものなのです。
そのことを見聞きした友だちからは馬鹿にされ、
あげくに好きなあの子に暴露され、
ついには変なあだ名をつけられるのではないか…
といらぬ心配をしなければならなくなるのです。

元はといえばあたりかまわずうんちをしまくる
犬が悪いわけなのですが、
うんちを踏んだという運命に思い悩んでしまい、
普段の行いが悪かったのではないか…
と自分自身に反省を促したり、
何でこの世に生まれてきたんだろう…
なんて自己嫌悪に陥ることだってあるのです。

おかげでその日一日は、
まるで人格を否定されたような憂鬱な気分で、
人生を過ごさなければならないのであります。

とある炭鉱の廃坑近くにある
モルタル造りの小さな中学校に
ぼくは通っていた。
学校の横には
山に続く細い道があり、
その山のふもとには火葬場があった。
二年生の校舎からは、
その火葬場の煙突が真正面に見え、
風の強い日には、
煙が教室の中に入ってくることもあった。
もちろんすぐに窓を閉めるのだが、
立て付けの悪い当時の窓のこと、
隙間から臭いが染みこんできたものだ。
その煙がどんな煙かわかっていたので、
気味が悪くてならなかった。
だけど昼時になれば、
魚を焼くような
その気味の悪い臭いが、
なぜか腹にしみたものだった。

日本がWBCで優勝したのを見届けてから、
ぼくたち夫婦は買い物に行った。
ショッピングセンター横の遊園地から、
子どもたちの絶叫が聞こえてくる。
そうか、もう春休みなんだ。
駐車場から見える山の中腹は
すでに桜色に染まっている。
今日は少し肌寒くあった。
それでも至る所に春は充ちている。
彼岸過ぎ…
ぼくたちにはもう、
怖いものなんかないんだ。

今年初めてのモンキチョウが
渋滞中の車の間を縫っていく。
日差しをいっぱい浴びながら、
さも気持ちよさそうに、
悠々と春の中を泳いでいる。

モンキチョウ、
彼こそ春の目安なんだ。
毎年その日に季節が変わる。
三寒四温がそこで終わり、
誰もが冬の顔から解放される。
さあ、いよいよ春の本番だ。

月の作る影の中に虫が鳴く
虫の鳴く声はススキを揺らし
ススキが揺れると声は止む

声なき夜のしじまの中に
小さな妖怪が潜んでは
時間とともに成長する

長い長い時間の中で
巨大に育った妖怪たちが
じっとこちらを窺っている

今にも襲ってきそうな気配の中
幼いぼくの直感は
必死に涙を呼んでいる

寂しい線路脇の小径だった
遠くかすかに浮かぶ街の灯りだけが
あの夜のぼくの正義の味方だった

休みの前の日は、
つい夜更かししてしまう。
早く寝れば休みを有効に使うことが出来るのに-
と思いながら、もう何十年もやっている。

とはいえ最近は以前のように、
昼まで寝ているということはなくなった。
夜更かしはしているものの、
そこそこ早い時間に目が覚めるようになったのだ。
おかげでこのところ休みの日は、
わりと有効に時間を使うことが出来ている。
だけど休みの日に睡眠をとってないせいで、
仕事の日には眠気が差してきて
困る困る。

四十歳を超えた頃
ぼくの中に疲れがあるのに気がついた
肉体的なものなのか
精神的なものなのか
それはわからなかったが
目を閉じれば疲れが浮いて見えるのだ
それが気になってしかたない
そのうちその疲れが別の疲れを呼んできて
だんだん仕事も手につかくなってきて
人生にも嫌気がさしてきた

そこで何とかしなければと
人の意見を聞いたり
人生の本を読んだりして
試行錯誤やってみた
だけどなかなか疲れはとれないでいた

そうしたある日
ぼくはふと
心の片隅に遊園地を作ることを思いついた
心の中にあるものすべてを子どもの頃に戻して
思いっきりそこで遊んでみようと思ったのだ
最初はイメージするのに手間取ったが
だんだんそれも出来るようになり
ついには心を遊ばせることに成功した
そうしてぼくは楽しみながら疲れを忘れていった

以来何かあるごとにぼくはそこを訪れている
だから今こうやって笑っていられるのだ

今日はホワイトデーだったが、前回書いた人へのお返しはしなかった。
別に無視したわけではなく、ちゃんとお断りしておいた。
ついでに来年以降のバレンタインデーもしてくれるなと頼んでおいた。
というわけで、来年からの重荷が一つ取れた。

さて、ぼくはホワイトデーを無味乾燥にやり過ごしたわけではない。
お返しする人にはちゃんとお返ししておいた。
仕事上の付き合いのある人には、チョコをもらった翌週に、とある酒造の新酒を贈った。
なぜ早く贈ったかというと、その酒は初しぼりのため、その時期にしか手に入らない。
生酒ということもあり、保管するのも大変だ。
という理由から、お返しが早まったのだ。

また、昔から親しくしている人には明太子を贈った。
毎年その人にはクッキーやケーキといったスタンダードなお返しをしていたが、お菓子だとどうしても個人向けになる。
家族ぐるみでつきあっているので、その家族全員に喜ばれるものをと思い、明太子を選んだのだ。
どちらのお返しもとりあえずは喜んでくれた…、と思う。
お中元やお歳暮といった儀礼的な贈り物などしないぼくにとって、年一度の贈り物の季節が終わった。

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