吹く風

人生万事大丈夫

2004年01月

最近、にがりと椿油で頭をマッサージしている。
この二つが、髪の健康のために一番いいと、人から聞いたからである。
使ってみると、なるほど秋口から毛細りしていた髪が、心なしか太くなったような気がする。
やはり、にがりと椿油の情報は間違ってなかったようだ。

ところで、それらのおかげで髪は健康になりつつあるのだが、ここで困ったことが起きてしまった。
それは、髪が若干黒くなったような気がする、ということだ。
ぼくは、もう黒髪のことには未練がなくなっているのだ。
というより、黒髪のことよりも、今は白髪のほうが大事なのだ。
その理由は二つある。

一つは、『しろげしんた』というハンドルネームのことがある。
もし黒くなったりしたら、『しろげしんた』という名前は嘘になってしまうのだ。
「体は名を現わす」でつけた名前だから、なおさらである。
ぼくはこの名前が気に入っている。
一生この名前を使っていきたいと思っているのだ。

もう一つの理由だが、一年ほど前から、床屋に行くたびに「きれいな白髪ですね」と言われている。
ぼくはそのことに、喜びを感じているのだ。
髪が伸びていく段階で、一人で白髪に見入っていることもある。
「このまま、髪が伸びたら格好いいのう」などと一人で悦に入っているのだ。
もし、サラリーマンやめたら、白髪を伸ばしてやろうとも思っている。

もし髪が黒くなったら、「体は名を現わす」だから、名前は当然『くろげしんた』とか『くりげしんた』とかになってしまう。
こんな名前を使うくらいだったら、嫌いな本名を使ったほうがましである。

それに、今更黒くなっても、若い頃のように真っ黒になるとは思えない。
中途半端に黒い頭というのは、実に情けない。
えらく老け込んで見えるのだ。
20代後半に、すでに中途半端に髪が白くなっていたぼくは、若い女の子などから、「白髪じじい」などと悪口を叩かれていたものである。
あの時は、かなり落ち込んだものだ。
そんな思いをしたくないと思って、カラーリンスを使うようになったのだ。
ここで、中途半端白髪になってしまったとしたら、またあんな嫌な思いをしなければならないのだ。

さて、どうしよう。
髪の健康のためには、にがりと椿油は続けなければならないが、白髪のためにはそれを続けることは許されない。
どちらをとるか?
思案のしどころである。

店に帰って1時間ほど経ってから、ぼくの携帯電話が鳴った。
「誰からだろう?」と電話をとってみると、例の警官からだった。
「あ、しんたさんですか? こちら○○交番ですが、携帯電話の落とし主が見つかりました」
「ああ、それはよかった」
「で、さっき書類のコピーをあげたでしょう。それ持ってきてもらえませんか?」
「え、今からですか?」
「今、来られませんか?」
「もう抜けられませんから」
「そうですかぁ…」
「今日じゃないといけないんですか?」
「いえ、いつでもいいですよ」
「じゃあ、明日にでも…」
「ああ、交番は24時間開いてますから、夜でもかまいませんよ。今日来てもらえますか?」
「今日ですかぁ…。仕事が終わってからでもいいんですか?」
「はい、かまいません」

電話を切った後で、ぼくは思った。
「家の電話番号は教えたけど、携帯の電話番号は教えてない。何でわかったんだろう? ‥‥あっ、もしかしたら」
ぼくは家に電話をかけてみた。
「はい」
妻の声だ。
仕事が早く終わって、もう帰っていたのだ。
「おい、さっき警察から電話がなかったか?」
「ああ、あったよ」
「で、携帯番号、教えたんか?」
「うん。『会社に電話したらいいでしょ』と言ったんやけど、しつこく聞くんよ」
やはりそうだったか。
妙に真面目すぎる警官だったから、そんなことだろうと思っていた。

そういうわけで、ぼくは帰りに遠回りをしなければならなくなってしまった。
書類を届けに行くと、さっきとは別の警官がいた。
「あのう、これ持ってきました」
「ああ、そうですか。それはありがとうございました」
手続きにあれだけの時間がかかりながら、最後は実に素っ気ないものだった。

家に帰ってから、いつも携帯電話の着信履歴やメールを見直している。
必要な人の電話番号やメールアドレスを登録し、ワン切りや迷惑メールを削除するためである。
「さて、これをどうしようか?」
そう、110番である。
消すべきか、否か?
さんざん迷った末、結局残しておくことにした。
警察からの謝礼だと思うことにしたからである。

15分間、ぼくは何もすることなく、イスに腰掛けていた。
交番内には灰皿を置いてないので、タバコを吸うわけにもいかない。
机の上に夕刊が置いてあったが、それを見る気もしない。
何気なく壁を見ていると、そこに『この人を捜しています』と書いたポスターがあった。
幸せ薄そうな、貧相な女性の写真がそこに載っていた。
その女性たちは、みな指でピースサインをしているのだが、それがまた哀れを誘った。
ぼくはそのポスターを見ながら、なぜか辛くなり、目を机の上に落とした。

そうこうするうちに、警察官がやってきた。
「お待たせいたしました」
顔を見ると、まだニキビが残る若い警察官だった。
彼はおもむろに書類を取り出し、一人でブツブツと言いながら書類を書き始めた。
「あのう、ご住所はどちらですか?」
「ぼくのですか?」
「はい」
「会社の住所じゃだめなんですか?」
「え?」
「ぼくが拾ったわけじゃないんだし、謝礼なんかいりませんから…」
「ちょっとお待ち下さい」

彼は本署に電話をかけた。
「あのう、こういう場合、どうすればいいんですか?」と、ぼくが言った旨を伝えた。
「はい、‥‥、はい、‥‥、はい、‥‥、ああ、書かなくていいんですね。はい、わかりました」
受話器を置いてから、彼は「ここは書かなくていいそうです」と言い、書類を書き進めていった。
「…それにしても面倒ですねえ。前に免許証を届けた時は、もっと簡単に終わったんですけど」
「ああ、携帯電話の場合は財産性があるので、現金などと同じ扱いになるんですよ」
そう言いながら、彼の手はまた止まった。
そして、また一人でブツブツと言いだした。
そして、また本署に電話をかけた。
「はい、‥‥、はい、‥‥、はい、‥‥。はい、わかりました」

しばらくしてから、彼のブツブツは終わった。
ようやく、すべてを書き終えたようだった。
「お待たせしてすいませんでした。書き終わりましたので。…あ、参考までに住所と電話番号教えてもらえませんか?」
「ぼくのですか?」
「はい」
ここで拒むと、また時間が長引くので、ぼくは素直に住所と電話番号を教えた。
「確実に相手に届けますから」
そう言って、彼はぼくに書いたばかりの書類のコピーを渡した。
「はい、お願いします」
書類を書くのに、およそ20分かかっているから、ぼくは30分以上も交番にいたことになる。

最近、交番に行く機会が多くなった。
すべて落とし物絡みである。
前回は運転免許証、前々回も運転免許証だった。
今月に入ってからも、一件免許証の落とし物があったが、たまたま来ていた刑事さんに預けたので、こちらから交番に出向く必要はなくなった。
ちなみにそれらの免許証は、すべて女性の物であった。

さて、今日の夕方こと。
「携帯電話が落ちていました」と、お客さんが持ってきた。
見ると、その携帯電話は仰々しくも毛皮に包まれ、真珠のような飾りが付いていた。
おそらくこれも、女性のものだろう。

auの携帯だったので、さっそくauに連絡して「持ち主に連絡してもらえないか」と頼んでみた。
するとau側は、「うちではそういうことをやっていません」と言う。
「じゃあ、こちらから連絡するから、家の電話番号を教えてもらえませんか?」
「お客様情報を、お教えするわけにはいけません」
「どうすればいいんですか?」
「警察に届けて下さい」
「そうですか」、そう言ってぼくは電話を切った。
まあ、au側としては当然の対応だろうが、持ち主に連絡してやったくらいいいではないか。
おかげで、また交番に行く羽目になった。

ぼくの会社から交番まで、歩いて10分少々かかる。
この寒い中、往復20分も歩くのは辛いものがある。
車で行ってもいいのだが、交番には駐車場がなく、嫌でも路上に駐車しなければならない。
交番に用があるのに、駐禁キップを切られたらたまったものじゃない。
しかたなく、ぼくは厚手のジャンバーを引っかけて歩いていくことにした。

交番に行ってみると、誰もいなかった。
しかたがないので、机の上に置いて帰ろうとすると、そこに『落とし物を持ってきた場合は、机の上におかないで、ここにある電話を使って○番にかけてください。』と書いてある。
そこで、○番に電話をしてみた。
「はい、○○警察署です」
「あのう、落とし物を届けに来たんですが、誰もいなくて…」
「ああ、今、そこの署員は事件があって出かけています」
「どうしたらいいですか?」
「他の署員を回しますので、しばらくお待ち下さい」
「しばらくって、どのくらいですか?」
「そうですねえ、15分ほどですかねえ」
「15分もかかるんですか? 仕事を抜け出してきているんで、もう少し早く来れませんかねえ」
「じゃあ、夜にまた来てもらえますか?」
この交番は、ぼくの家とは逆の方向に当たる。
わざわざ、交番回りをして帰るのも嫌なので、「じゃあ、待ちます」ということになった。

ラジオで、昔の学園ドラマの特集をやっていた。
夏木陽介の『青春とは何だ』に始まる学園ドラマの主題歌等を流していたのだが、突然、加山雄三主演の『高校教師』の主題歌が流れたのには驚いた。
『高校教師』は、先の『青春とは…』の爽やか路線とは、まったく意を異にしていたからである。
主題歌を歌っていたのが、夏木マリだったというのも、その当時の学園ものとは異質のものだったというのが伺えるだろう

『高校教師』は東京12チャンネルでやっていたものだった。
そのせいか、当時、同じ12チャンネルでやっていた『プレイガール』の姉妹版と言われていた。
『プレイガール』と言えば、沢たまき主演で、お色気とアクションを売り物にしたドラマである。
一方の『高校教師』も、姉妹版らしく、お色気とアクションを売りにしていた。

出演者も、「これが高校生?」と思わせるような、色っぽい人が多く出ていたような記憶がある。
高校生らしいと言えば、ぼくと同い年であるチャコちゃん(四方晴美)くらいだったろうか。

このドラマは、当時高校生だったぼくたちの間でも、けっこう人気のあった。
理由は、毎回その色っぽい人たちが、アクション中に、スカートの中を見せてくれるからだ。
そのため、ぼくたちはワクワクしながら見ていたものである。
しかし、チャコちゃんのパンツだけは見たくなかった。
まあ、そういう理由は別として、もう一度見たいドラマの一つである。

一週間続いた寒波も、ようやく去ったようだ。
寒いことは寒いのだが、外は昨日までの冷蔵庫状態ではなかった。
昼間、灯油を買いに行った時には、日が差してそこそこ気持ちがよかった。
とはいえ、灯油の販売店は黒山の人だかりだった。
その販売店を利用してから、3年経つが、こんなにお客がたかっているのは初めてだ。
それだけ、この1週間の寒波が、並ではなかったということだろう。

今日も名前のことを考えていた。
昨日の日記で『白毛信太』がいいということを書いたが、その名前を使うかどうかについてである。
いろいろと悩んだが、やはり「しろげしんた」で通すことにした。
理由は、『白毛信太』と書くと、『しろげのぶた』と読まれるかもしれないからだ。
白毛の豚…。
こんなの嫌である。
ぼくは白毛ではあるが、豚ではない。
過去、豚と呼ばれた経験もない。
まあ、最近腹が出てきたものの、基本的に豚体型ではないので、目立つほどではない。
顔も豚系の顔ではない。
つまり、豚は、ぼくのイメージではないということだ。
そういう理由から、ぼくは『白毛信太』を捨てることにした。
でも、もったいないなあ。
せっかくいい名前(画数)だったのに。

1週間ほど前のことだった。
ちょっとしたきっかけで、この疑問が解き明かされることになった。
ちょっと専門的になるので、ここでの詳しい説明はしないが、簡単に言えば、彼らの名前には神様が隠されていた、ということだ。
まあ、神様などと言うと宗教的なことと思われるかもしれないので、紛らわしさを避けるために「天佑(天の助け)」と言ったほうがいいかもしれない。

ぼくは、その22画の他、どの姓名判断の本を見ても凶数となっている34画にも疑問を持っていた。
その34画は、松任谷由実の画数だったからある。
なぜ、凶数34画なのに、あれだけのビッグアーティストになれたのだろうか?
これも長い間の疑問であった。
ところが、22画の疑問が解けたことにより、松任谷由実の名前の疑問も解けてしまった。
そう、彼女の名前にも、その神様が隠されていたのだ。

長年の疑問が解けたことによって、著名な人を次々と調べていった。
すると、出てくるわ出てくるわ。
有名人の大半の名前に、この神様が隠れていた。

これで自信を持ったぼくは、「じゃあ、究極の名前はどんな画数なのか?」ということを調べることにした。
「おそらく、これではないか。いや、これしかない!」
と、ある画数を導き出した。
そして、今度はその画数を、有名人に当てはめてみた。
すると、この画数を持つ人が一人だけいた。
それは、明石家さんまだった。
この人の名前は、神様だらけである。
大竹しのぶと離婚したのは、案外彼が神様に守られていたからかもしれない。

ところで、この方法で「しろげしんた」を見るとどうなのか?
まあまあいい名前である。
中の上といったところか。
しかし、それよりもいい名前がある。
それは「白毛信太」である。
これだと、先の山口百恵らと同じように、22画の凶数ながらも、神様に守られるのだ。
生まれてこの方、神様に守られたことがないから、このへんで神様に守られてみるのも悪くない。

ま、それはともかく、ぼくの姓名判断は、また一歩進歩したのだ。
こうなったら、「白毛信太」名で、姓名判断の看板を挙げようかなあ。

最近、また姓名判断に凝り始めている。
その理由は山口百恵にある。
22画。
さほどいい画数でもないのに、なぜあれほどまでのスターになれたのだろうか?
これは、ぼくにとって十数年来の謎であった。
その謎を解き明かすべく、十数年前に再び姓名判断に凝り始めた。
しかし、そこで答は出なかった。

その後、周期的にこの疑問が襲ってきた。
今度は山口百恵に加え、宮沢りえという、やっかいな名前まで出てきた。
そう、宮沢りえも22画なのだ。
いったいこの人たちの名前のどの部分がいいから、スターになれたのだろうか?
確かに、華やかな世界で成功する画数だとなっている。
では、22画の人がみな芸能界で活躍しているかというと、そうではない。
ぼくの知る限りでは、所ジョージと松本人志くらいである。

仮に22画の人がすべて芸能界で成功するのだとしたら、ぼくの伯母も芸能界で成功しているはずである。
しかし、おばちゃんは芸能界とはまったく縁のない、普通の人なのだ。
「これはおかしい。野末陳平の本を読んで、22画の芸名を付けた人うち、いったい何人が芸能界から去っていったことだろうか。その数は計り知れないだろう」
ぼくの姓名判断の研究は、いつもこういった野末批判で終わってしまった。

最近姓名判断に凝り出した理由も、やはりここにある。
周期がやってきたのだ。
山口百恵、宮沢りえ、所ジョージ、松本人志、これらの人たちのいったいどこがいいから、あれほどのスターになれたのだろうか。
またあれこれと、姓名判断の本を引っ張り出して研究していた。

途中までは順調だった。
ところが、ある程度慣れてきた所で不幸は起こった。
前のほうで、学生がバイクを噴かしていた。
それを見て、ぼくは「馬鹿やのう。こんな雪の日にバイクなんか乗って」とあざ笑った。
その瞬間だった。
目の前の風景が、突然変ったのだ。
気がつくと、ぼくの目は自分のへその部分を見ていた。
そう、滑って転んでしまったのだ。
まるで、出足払いを喰らわさようだった。
へそを見たのは、とっさに受け身が出たからだ。
柔道をやめてから30年近くなるが、昔取った杵柄というか、ちゃんと体は覚えているものである。
おかげで、尻を軽く打った程度で助かった。

駅が近くなるにつれ、すれ違う人の数が多くなった。
その人たちも白くなっている所を歩いているので、だんだん歩く範囲が少なくなっていった。
その人が先にその白い部分に入ってこちらに向かってきた場合、仁義としてこちらが避けなければならない。
先ほどの転倒が応えてか、歩くのに慎重になっていたぼくは、その人が行きすぎるまで、じっとその場に立って待っていた。
すれ違う時、その人は怪訝な顔をして、ぼくのほうを見つめていた。

普段より1時間近く遅くなったものの、何とか無事に家に着いた。
それにしても、今回の収穫は大きかった。
まず、雪道の歩き方を身をもって知ったこと。
これは次回以降に繋がるだろう。
傘も馬鹿にならないアイテムである。

次に、受け身を忘れていなかったこと。
というより、「絶対に転ばない」と力んでいるよりも、「転ぶのもしかたない」と開き直っていたほうが、転んだ時にケガをしない、ということがわかったことだ。
今回転んだ時、ぼくはなぜか無心だった。
それは、歩いている途中に、一度は転ぶだろうと覚悟をしていたからだと思う。
その覚悟を、体が「じゃあ、うまく転ばせてもらいます」と受け取ったのだろう。
もし、「絶対転ばん」と思っていたら、筋肉や筋に余計な力みが出て、不自然な転び方になっていたことだろう。

何よりも大きな収穫は、顔を寒気にさらさなければ、寒さは半減すると知ったことである。
このことを知ったことは大きい。
これから防寒着を買う時は、フードの付いたやつを買えばいいわけだ。
それも飾りで付いているものではなく、実用的なものを。
そして寒い時は、躊躇せずフードを被る。
まあ、そうすれば、変な人と思われるかもしれないが、それでも寒いよりはましである。

台風と同じように、降雪の翌日というのは、だいたい晴になる。
朝方、いくら雪が地面を真っ白に覆い尽くしていても、昼頃にはもう半分以上が溶けてしまっているものだ。
北国のことは知らないが、九州で降る雪というのは、所詮こんなものである。
ところが、今回の雪は様子が違う。
天候はいつまでたっても優れないし、雪もなかなか溶けてはくれない。
いや、溶けるどころか、昼過ぎから逆にそれは固まりだしてしまった。
夕方には、白くなっている所以外、つまり地面の見えている部分は、ほとんどが凍結していた。

さて、夜になった。
帰りも当然JRである。
そのJRに乗るためには、まず駅まで行かなければならない。
「さて、どうやって駅まで行こうか?」
会社から駅までは、3キロほど離れている。
バスがないわけではない。
だが、ダイヤが乱れているとテレビで言っていたから、予定どおりは来ないだろう。
そんないつ来るかわからないものを、寒空の下でじっと待つなんて、ぼくには出来ない。
それに、朝も歩いてきたことだし、こういう雪道を歩く機会も滅多にあることではない。
ということで、歩いて帰ることにした。

行きは30分かかった。
が、帰りは凍結しているので、それではすまないだろう。
ぼくは慣れない雪道を、恐る恐る歩いて行った。
最初は普通どおり歩いたのだが、後ろ足が滑ってしまい、満足に歩けない。
そこで、地面を一歩一歩踏みしめるようにして歩いた。
これで後ろ足が滑ることはなくなったが、それでも心許ない。
幸い、傘を持っていたので、これを杖代わりにして歩くことにした。

しばらく歩いているうちに、あることに気がついた。
最初は、白く雪が残っている所が危ないと思って、そこを避けていたのだが、どうもそれは間違いだったようだ。
地面が見えているところのほうが滑るのだ。
「ああ、忘れていた! 地面の見えている部分は凍結しているんだった」
そのことに気づいてから、ぼくは白くなっている所を歩くことにした。

このページのトップヘ