2002年3月13日の日記です。

 集中治療室は2階のナースステーションの横にあり、そこに置いてあるベッドで、十年前と同じように点滴を受けることになった。点滴は腕や腰が痛くなるのでイヤだったが、それを断ると病院を追い出されてしまう。
『まあ、今回はのどが渇いてないだけいいや』と思い、我慢することにした。

 その日の出来事を思い起こしながら、いよいよ眠ろうとした時、どこかの部屋から、ヒソヒソ声が聞こえてきた。
『何て言ってるんだろう?』と耳を澄まして聞いていると、その声はだんだん大きくなり、「ナンマンダブ、ナンマンダブ」と吼えだした。
『何だここは!?』
 不気味さを感じながら聞いていると、声はだんだん小さくなった。
『何だったんだろう?』と思いながらうつらうつらしていると、またヒソヒソ声が聞こえてきて、さっきと同じようにだんだん声は大きくなり、「ナンマンダ!」と吼えて終わる。
 これが何度も何度も続くのだ。

『ナースステーションには宿直がいるのに、何で注意しないんだろう?他の患者の迷惑になるじゃないか』
そう思いながら、ぼくはもうひとつのことを考えていた。
『もしかして、あの声が聞こえるのは、自分だけじゃないだろうか』
 しかしこの考えを展開していくと怖ろしくなるので、なるべく考えないようにしていた。が、考えまいとすればするほど、よけいにそのことを考えてしまう。ぼくのほうが「ナンマンダ」と唱えたい気分だった。

 夜が明けて、ぼくは寝不足状態で先生の診察を受けた。
「もう大丈夫みたいですね。帰っていいですよ」
「ありがとうございます」 
 とお礼を言ったついでに、『ナンマンダ』のことを聞いてみようかと思った。しかしやめておいた。
「ああ、聞こえましたか。やっぱり・・・」
 などと言われたら、また気分が悪くなるからだ。

 車は前日、友人が運転して帰っていたため、JRで帰ることになった。
 3時間ほどかけて家に帰ったのだが、電車の音がずっと『ナンマンダ』と聞こえていた。