2002年3月3日の日記です。

 小児科で紹介してもらった病院は、そこから車で5分ほど離れた場所にあった。
 病院に入ると、ぼくはボーっとしたまま診察台に横たわった。そして、生まれて初めての点滴を受けた。点滴は気持ちよく、体がだんだん温まってくるような気がして、そのまま眠ってしまった。

 30分ほどして目が覚めた。気分はすっかり良くなっていた。
 ぼくは先生に
「良くなったみたいです。もう大丈夫です。帰ります」
 と言い、立ち上がり診察室を出た。
 そのとたん、目の前が真っ暗になり、再び吐き気を催した。

 すぐさまトイレに駆け込んだ。すでに胃の中は空っぽになっていたから、出てくるのは胃液だけだった。
 その最中、突然下腹に痛みが走った。「下痢だ!!」と思うと同時に、「どうしよう」という思いがよぎった。胃液嘔吐はなかなか止まろうとしないが、この態勢のままでいると漏らしてしまう。気を緩めたらアウトだ。ぼくは、とりあえずズボンのベルトを緩め、神経を下腹に集中して胃液が収まるのを待った。

 ようやく胃液が収まりかけた。そのチャンスを逃さず、すかさず回れ右をして便座に座った。成功だった。電光石火とはこのことだ。この間1秒もかかってないだろう。
 しかし、こんな小さなことに感動している暇はなかった。下している時に、また胃液が出てきた。上と下で垂れ流しである。

 トイレから出た時には、もうフラフラだった。
「このまま帰ると死んでしまう」
 そう思ったぼくは、診察室に戻り、先生に「入院させて下さい」と言った。
「入院?」、と先生は困惑した顔をして言った。
「はい、今日はもうだめです」と言い、ぼくは先の状態を説明した。
「入院と言われてもねえ。ベッドも空いてないし」
「診察室が空いてるじゃないですか」とぼくは粘った。
「・・・。しかたない。今日一日泊まっていきなさい」
 先生はしぶしぶOKした。

 ということで、ぼくにとって人生初の入院が決まった。そして、最後まで付き合ってくれた仲間に「入院が決まった」と告げ、丁重に礼を言って、引き取ってもらった。

 さて、入院が決まったぼくは再び点滴を受けた。もう午後11時を過ぎている。
 先生は「もう帰りますけど、今日は決して水を飲んではいけません」と言った。
「ええーっ!!のどカラカラですよぉ」
「飲むのならお茶か白湯にしなさい。でも飲みすぎたらいけませんよ」
「ジュースはだめですか?」
「うーん、まあジュースならいいでしょう」
 そう言って先生は診察室を出ていった。

 残ったのは宿直の看護婦だけだった。
 ぼくが「のど渇いた」と言うと、看護婦は麦茶を持って来てくれた。ぼくは一気にその麦茶を飲み干した。これほど麦茶がおいしいと感じたのは初めてだった。
 ぼくは調子に乗って「もう一杯下さい」と頼んだ。
「もうありません」と言われた。
 しかし脱水状態の身、一杯ぐらいじゃ渇きは癒えない。
 そこでぼくは、「ねえ、ジュース買ってきて。奢っちゃるけ」と言った。
 看護婦は呆れた顔をしていたが、病院の廊下にある自動販売機でヨーグルトを買ってきてくれた。
「これ飲んだら寝て下さいね」と言って、看護婦は診察室を出て行った。

 買ってきてくれたヨーグルトは逆効果だった。無茶苦茶甘く、飲み終わってすぐにのどが渇いてしまった。「どうしよう」と思ったが、もう看護婦はいない。
 このあと朝まで、ぼくは『地獄の渇き』と闘う破目になった。のた打ち回りたくても、点滴で身動きが取れない。
 この時、点滴を受けている時にも動いていいというのを知らなかったのだ。そのことを知っていたらと、今でも悔やんでいる。

 翌朝、先生が来て「どうですか?」と聞いた。
 ぼくが「もう大丈夫みたいです」と言うと、先生は「そうですか。じゃあ、もう一度点滴をして終わりにしましょう」と言った。
 他の入院患者のように朝飯も与えてもらえず、通院患者が来る前にぼくは追い出された。渇きと空腹とでフラフラしながら、ぼくは家に帰った。
「こんな入院はごめんだ」と、ぼくはその時思った。

 しかし、似たようなことが約十年後に起こった。