吹く風

人生万事大丈夫

 現在ぼくが働いている所は多国籍(?)な職場で、色々な企業から派遣や応援が来ている。かく言うぼくも多国籍軍の一人だ。

 同じ多国籍軍の一人に、Kさんという人がいる。彼は二十代後半なのだが、童顔のため年齢よりも若く見える。
 そのKさんと同じ制服を着た人が、昨年末から来るようになった。

2022年12月3日
 Kさんと一緒にいる人、初めて見る顔だ。Kさんと同じ制服だから、Kさんと同じ会社の人だ。本社の人だろうか?
 その顔からすると、歳は三十代半ばくらいか。恰幅がよく、Kさんよりも背が高い。

2022年12月10日
 あの人が来ている。Kさんとずっと一緒だ。いろいろ話している。やはり本社の人に違いない。

2022年12月17日
 あの人が来るのは土曜と日曜だけみたいだ。客数の多い日にやって来て、Kさんを指導しているのだろう。

2022年12月24日
 Kさんが接客していた時、あの人が年配の方と話をしていた。会社のお偉いさんに違いない。陣中見舞いに来たのだろう。
 しかしあの人は落ち着いている。お偉いさんの前でも物怖じしていない。

2023年1月14日
 今年に入って初めてあの人を見た。相変わらずKさんと一緒にいて、指導しているようだ。

2023年1月21日
 初めてあの人と話をした。言うことがしっかりしている。

2023年1月28日
 あの人は来なかった。Kさんは一人で忙しそうにしていた。

2023年1月29日
 今日もKさん一人だ。相変わらず忙しそうにしていた。

2023年2月4日
 あの人は今週も来てない。
 Kさんがいたので聞いてみた。
「今日、あの人休み?」
「あの人?」
「土日に来る恰幅のいい人」
「ああ、彼は休みです」
「あの人、営業所の人?」
「えっ、違いますよ」
「じゃあ、エリアマネージャーか何か?」
「いいえ」
「じゃあ、何者なん?」
 Kさんは、この人、何を言ってるんだといった顔をした。
「バイトですよ」
「バイト?」
「はい」
「あの歳で?」
「あの歳って、彼まだ22歳ですよ」
「学生?」
「はい」
「学生か。老け顔だし、どっしりしてるから、てっきりKさんの上司かと思ってた」
「よく言われます」


 あの人がKさんを指導していたように見えていたが、実はKさんがあの人を指導していたのだ。
 Kさんの童顔、いろいろ損しているなあ。

2003年2月14日の日記です。

 JRで通勤していた頃、駅前で宗教の勧誘をしている人をよく見かけた。
 ぼくも何度か声をかけられたことがある。
「あなたの幸せと健康と祈らせて下さい」
 見るからに胡散臭い男で、目は完全にイッていた。
「ぼくは幸せで健康です」
 そう言っていつも断っていた。

 ある時、
「私がお祈りすると、観音様の三大パワーであなたは幸せになります」
 と言って来る人がいた。
 ぼくが意地悪く
「三大パワーって何ですか? 観音経にはそんなことは書いてないけど、何のお経にそういうことを書いてましたか? ぜひ読んでみたい」
 と言うと、その人は相手が悪いと思ったか、
「失礼しました」
 と言い、クルッと背中を向け別の場所に移動した。

 伯母にもそういう経験があるという。
 ぼくの時と同じように、観音様の三大パワーを説き、「あなたの幸せと健康を祈らせて下さい」と言ったという。
 それを聞いて伯母は
「へえ、観音様ですか。それはありがたい。どうぞお祈り下さいませ」
 と言った。
 すると、その人は手を伯母の額の上にかざした。約5分。
 その間、伯母は何をやっていたかというと、その手をかざした人に手を合わせ、「マーカーハンニャーハーラー…」と般若心経を唱えていたのだという。
 伯母を相手にした人は戸惑っただろう。まさかこんな状況になるとは思ってもいなかったはずだ。しかし、祈り始めたからには止めるわけもいかず……。
 その状況を想像しただけでもおかしいものがある。

 それも新興宗教の一つらしい。そうすることで、その人は功徳を積むのだという。
 しかし、知らない人から突然声をかけられるというのは、気味が悪いものだ。はっきり言って迷惑である。そういう迷惑を実践して、何の功徳が積めるというのだろうか。迷惑に迷惑を重ねるだけの話じゃないか。

 まあ、憲法で信教の自由が保証されていることだし、別にどんな宗教をやっているからといって文句を言うつもりはない。「どうぞ、御勝手に」である。しかしぼくには関わらないで欲しい。

2004年2月9日

 店長が一枚の手紙をぼくに手渡した。
 そこには、
『酔っぱらいのおじさんから、「山芋を買え」としつこくせまられました。こちらが「いりません」と言うと、大声で怒鳴り出し、子供が泣きだしました。ああいう人は出入り禁止にして下さい。店の人も、もっと強気に対応して下さい』
 とお客さんの苦情が書かれていた。
 ぼくがそれを見て、
「『強気に対応して下さい』って、今まで充分強気に対応してますよねえ。おいちゃんは、それでもやって来るわけだし。それに、おいちゃんのことを知っている人の前ならともかく、知らない人の前で、強気の対応は出来ませんよねえ」
 と言うと、店長も
「そうよねえ。知らないお客さんの目には良く映らんよねえ」
 と言う。
 これまで何度かおいちゃんを怒鳴ったり、力ずくで追い出したりしたが、それは他のお客さんがいなかったから出来たことだ。
 他のお客さんがいる時は、注意するか、それでも言うことを聞かない場合は警察を呼ぶことしか出来ない。

 夜、おいちゃんは、いつものようにベンチで寝ていた。閉店になったので起こしたのだが、なかなか起きようとしない。仕方なく、おいちゃんを店の外に引きずり出した。
 後ろから脇を抱えて引っ張ったため、首が絞まるのだろう、
「ウェー、何か、ウェー、コラッ、ウェー」
 とあえぎながら言っていた。
 外に出すと、
「コラッ!殺すぞ、コラッ!・・」
 と一人でわめきだした。しかし、誰も相手にしなかった。
 おいちゃんは、またそこで寝ころんでしまった。
 後で店長が、
「外は寒いけ、あのままだと死んでしまうやろね。110番しとこ」
 と言って、電話をかけていた。

 帰る時、ぼくはおいちゃんが寝ている横を通って行った。パトカーが来ていた。3人の警察官が対応していた。おいちゃんが動こうとしないので、困っている様子だった。
 まさか警察に向かって「殺すぞ、コラッ!」と言ってないとは思うが。

2002年2月14日の日記です。

1,
 最近、野生動物の番組をよく見ている。
 この間は北海道の野生動物を追っていたが、印象に残ったのは野うさぎだった。彼らはいったいあの寒さをどう感じているのだろうか。そして、あの体毛がどのくらい有効なのか、一度体験してみたい、と思ったものだ。

2,
 冬とはいえ帽子などをかぶらなくても、頭はそれほど寒くはない。頭に鳥肌が立つこともないし。
 それよりも、いっぱい着込んで完全防御している体のほうが寒く感じる。髪の毛というのは、きっと理にかなった防寒具なんだろう。

3,
 その理にかなった髪の毛が全身にあったとしたら、寒さ知らずになるだろう。かつては人類も全身体毛に覆われた時代があったと聞くが、なぜそれを捨てたのだろうか?
 一度そういうことを考えたことがある。その時に導き出した答が、「地球が暑くなったため、全身体毛の必要がなくなった」ということだった。
 そこで人間は「禁断の果実」という名の脱毛剤を作り、体毛動物であることを捨てた。
 かくして人間の体は、暑さに耐えうる構造、つまり夏向きの動物になったのだった。

4,
 全身毛に覆われている動物は、冬向きなのだと思う。年中防寒着を着ているようなものだからだ。

 夏場の犬は「ハアハア」言って、いかにもきつそうに見える。全毛であるため暑いのだ。
 逆に冬場は溌剌としていかにも楽しそうだ。全毛であるため、きっと寒さを感じないのだろう。
 まあ、最近の犬は人間と一緒に生活をしているためか、暑さ寒さには弱いと聞くが、少なくともエアコンが普及する以前の犬はそうであった。

 それを考えると、あのたてがみふさふさの雄ライオンなんかはたまらんだろうなあ。生涯を熱帯の中で過ごすわけだから。彼らは年中「ハアハア」言っているのではないだろうか。
 ファミリーから一歩離れているのは、案外
「お父さんは暑苦しいからあっち行って!」
 と言われているからかもしれない。

家に帰ってからの一段落を
入浴時間に差し替えて、
夜がくるのを待っている。
本を読んだり、
居眠りしたりしているうちに、
あたりは徐々に暗くなり、
風呂場の窓の隙間から
いろんな夕方が忍び込んでくる。

この時期特有の煙ったにおいと、
夕飯準備のタマネギを炒めるにおい。
その隠し味にニンニク臭。
チンチンカンカン踏切の音。
カタコトカタコト電車の音。
ワンマンバスは行き先を告げて、
プーッと鳴らしてドアを閉める。
チリリンキーキーと音を鳴らす、
複数台の自転車の音と、
それに伴う中国語。
中国語、中国語、中国語…。
中国語が過ぎ去ったあとは、
ワーワー、キャッキャ、
部活帰りの中学生の笑い声。
笑い声、笑い声、笑い声…。

外の暗さに伴って明るさを増す街灯と、
そこまで来ている春の期待が、
窓の外から忍び込んでくる夕方を
賑やかなものに変えてくれる。

2003年2月18日の日記です。

 パソコンの前に座って、もう1時間が経つ。その間、文章を書いては消し、文章を書いては消し、その繰り返しばかりやっている。結局テーマが定まらないままに、この文章を書いている。

 いったい、日記は毎日書くものと誰が決めたんだろう。
 別に誰に強要されて書いているわけではない。もし強要している者がいるとしたら、それは自分である。勝手に自分でそういうルールを作って、それに縛られているだけのことだ。自分で作ったルールだから、書くことがない時や書きたくない時はルールを変更すればいいのだ。別にルールを変更したからといって、誰も咎めないだろう。

 そういえば、ぼくの周りにもたくさんのルールに縛られている人が多くいる。
 うちにいるアルバイト君は、『クリスマスにはプレゼントを贈らなければならない』というルールを自分で勝手に作っている。そしてルールに縛られている。彼を見ていると、人にプレゼントを贈らないと気が落ち着かないようである。
 バレンタインデーの時も、「男の価値はチョコの数」とでも思っているのか、彼は『チョコレートをたくさんもらわなければならない』というルールを作っていたようだ。そのため、パートさんにも「チョコレート下さい」とねだっていた。結局チョコレートを13個もらったらしいが、多くもらわなければならないルールに縛られた彼は、きっとその数に満足できず、ストレスを溜めたことだろう。

 前の会社にいた時、一日3箱タバコを吸うヘビースモーカーがいた。
 ある時彼は、「おれはこれから1時間に1本しかタバコを吸わんことにする」と宣言した。
 彼はその言葉どおり、1時間に1本しかタバコを吸わなかったが、10分置きにイライラしていた。自分でルールを決めて、自分に縛られ、あげくにストレスを溜める、いい見本である。
「別に1時間1本とか決めんで、少し控えめにする程度でいいやないね」
 とぼくが言うと、
「いいや、おれはそう決めたんやけ」
 と言って、意地になってそれを続けていた。
 そのうち彼は、妙に時計を気にするようになり、時計を見ては「まだか」とつぶやくようになった。時計に向かって八つ当たりする姿も見かけるようになった。こうなれば病気である。
 その後彼は自分のバカさ加減に気がついたのか、また以前のヘビースモーカーに戻っていった。おかげで、時計に八つ当たりする姿は見られなくなった。

 同じくタバコのルールマンがいる。
 その人は、「何分置きにタバコを吸う」というルールを決め、タバコを吸った時間をメモしていた。そうすれば前に吸った時間が確認できるので、自ずとタバコを吸う本数が減ると言っていた。
 これを始めた当初のこと。本人は気づかなかっただろうが、メモを取るための紙やペンがないと、彼は不機嫌な顔をしていたものである。その時点で、彼はルールに縛られていたのだろう。
 が、確かに彼の言うとおり、タバコを吸う本数は減ったようで、試みは成功したように見える。そのせいか、彼はいまだにこれをやっている。
 今は前のように紙やペンがなくても、不機嫌な顔をすることはなくなったようだ。おそらく、ルールを通り越し習慣になったのだろう。その根気強さには感服している。

 さて、この日記だが、そろそろルールに縛られるのはやめることにしようと思う。ぼくは上記の彼のように根気強くないので、到底習慣化されることはないだろうから。

2004年2月8日

「何か、こらぁ!」
 今年もまた、この声が帰ってきた。酔っぱらいおいちゃんである。店の改装後、しばらく姿を見せなかったが、寒くなってまた舞い戻ってきた。
 あいかわらず、どこで拾ったかわからない自転車に乗ってやって来て、隣のスーパーで酒を買い、適当に出来上がったところで大声を上げ騒ぎ出す。

 昨日、酔った勢いで、繋いであった犬にちょっかいをかけ、手を噛みつかれたらしい。その犬の飼い主にさんざん文句を言って、慰謝料1000円を巻き上げたという。
 また、店の中のATMコーナーで、お金をおろしている女の人に、「こらぁ、いくら出すんか!?」などと凄んでいたという。
 結局、店の人間とすったもんだの末、警察に通報されご用となった。

 今日も昼からやってきて、大声を上げていた。ぼくが遠巻きに見ていると、おいちゃんはぼくの姿を見つけ、
「おう、大将。昨日も来たんだけど、あんたいつ来ても休みですなあ。わたしゃ、あんたに用があってですなあ・・」
 と言う。
 聞けば、携帯テレビの調子が悪いということだった。おいちゃんは、ぼくが電気売場の人間だということを知っているので、ぼくに逆らうとテレビやラジオの修理などで便宜を図ってもらえないと思ってか、ぼくの前では大人しくしている。だが、声は大きい。

 このままだと、また人に迷惑がかかると思ったぼくは、
「おいちゃん、おれ、トイレに行く途中っちゃね。歩きながら話そうや」
 と言って、外のトイレに向かって歩き出した。すると、おいちゃんもぼくに付いてくる。まんまと外に連れだして、
「おいちゃんの話はわかったけど、現物を持って来んと、どういう状態かわからんやん。今からとっておいで」
 とぼくは言った。
「いや、今日は持って来れんですけ、別の日に持ってきます」
「じゃあ、おれ、トイレに入るけね。おいちゃんも、外は寒いんやけ、早く家に帰り」
 そう言って、ぼくはトイレに行く振りをし、別の入口から店内に入った。

 しばらくして、外を見てみると、何とおいちゃん、帰らずに玄関の前で寝ているではないか。何人かの人が、おいちゃんを見ている。
 ぼくは、おいちゃんの寝ているところに行き、
「おいちゃん、起きんね。風邪引くよ」
 とおいちゃんを揺さぶった。
 ところがおいちゃんは、起きる気配がまったくない。
 それを見ていたお客さんが、ぼくに
「酔っぱらってるんですか?」
 と聞いた。
「ええ、いつもこうなんですよ。深酔いするとあたり構わず寝て、中途半端に酔いが冷めると騒ぎ出す。困ったもんですよ」
 それを聞いて、お客さんは笑い出したが、起こすのを手伝ってはくれなかった。

 幸い日が照っていて、それほど寒くはなかったので、「風邪を引くことはないだろう」と思い、いくら起こしても起きないおいちゃんを、しばらくそこに放っておくことにした。

 それからしばらくしてから、またおいちゃんの叫ぶ声が、店内から聞こえた。
 そこに行ってみると、おいちゃんは店長とやり合っていた。
「出て行ってくれ!」
「何で、出らないけんとか。おれはお客さんぞ」
「人に迷惑かけるような人は、お客さんじゃない!」
 そう言って、店長はおいちゃんを引っ張り出そうとした。しかし、おいちゃんは抵抗する。

 おいちゃん、歳はとっていても、毎日芋掘りで鍛えているから、力だけはある。到底一人の力では、おいちゃんをつまみ出せそうにないので、周りにいたぼくたち従業員が、おいちゃんの手や足を取り、そのまま持ち上げて外に運び出した。
 誰かが「放り投げれ」と言った。
 それを聞いたおいちゃんは、「投げるな!」と言った。
 また誰かが、「このへんにしようか」と言うと、おいちゃんは
「いいか、そおっと置け、そおっと」
 とぼくたちに指示をした。
 酔っぱらってはいるものの、わりと冷静である。おいちゃんを、そのまま外に置いて、ぼくたちは店の中に入った。

 店内に入ると、清掃のおばちゃんたちがブツブツ言っていた。
「どうしたと?」と聴くと、「あのおいちゃん、おしっこをまりかぶっとるんよ(注;おしっこを漏らした、という九州弁。おしっこをしかぶった、とも言う)」と言う。
 またである。
 昨年も、おいちゃんはこの時期に、店の入口の中で立ち小便をしたり、寝小便をしたりして、ぼくたち従業員を泣かせているのだ。おいちゃんが来るということは、おいちゃんとの格闘以外にも、おしっことの闘いも覚悟しておかなければならない。

 ところでおいちゃんだが、その後むっくりと起き出し、また店内に入ってきた。何度追い出されても意に介せず、舞い戻ってくるのだ。まさにゴキブリのようなしぶとさである。

2003年2月16日の日記です。

 午後5時を過ぎた頃、ぼく宛に電話がかかってきた。
「あのう、昼間ビデオを買った者ですが」
 昼間、年配の夫婦がビデオデッキを買って行った。電話はそのご主人からだった。
「ああ、さっきのお客さんですね。どうされましたか?」
「いや、持って帰ってから繋いでみたけど、映らんのよねえ」
「え、映らない?」
「はあ、もう何時間もかかりっきりなんやけど。家に来て繋いでもらえませんか」
「いいですけど、いつがいいですか?」
「出来たら、今から来て欲しいんですが」
 今日は全員出勤なので、ぼく一人抜けたくらいでなんということはない。
「わかりました。じゃあ、今から行きます。ご住所はどちらでしょう?」
 ぼくは住所を聞き出し、さっそくお客さんの家に向かった。

 お客さんの家まで行くと、奥さんが玄関の前に立っていた。
「お忙しいのにすいません」
「いいえ」
「さっきから主人が悪戦苦闘してましてねえ」
「そうですか」
「ま、お上がり下さい」
 家に上がってみると、なるほどご主人は悪戦苦闘している様子だった。ビデオデッキの取扱説明書はもちろんのこと、テレビの説明書まで広げていた。

「こんにちは」
「ああ、すいませんねえ。これだけやってもだめということは、ビデオがおかしいんやないやろうか」
「ちょっと見せて下さい」
 なるほどこれでは映らない。ビデオの入力と出力を間違えて繋いでいたのだ。繋ぎ直すと、声が出た。しかし画が出ない。今度はテレビの裏を見てみた。映像入力にピンが刺さってない。で、ピンを差し込むと画像も出てきた。

「リモコンも効かないんですけど」
 見るとリモコンモードが変わっている。リモコンモードなど、普通の人はめったに触らない場所である。ぼくはリモコンモードを元に戻し、最後に無茶苦茶になっていたチャンネルを合わせた。
「これで大丈夫です」
「ああ、すいません。助かりました」

「じゃあ、何かありましたら、連絡して下さい」
 と言って、ぼくが帰ろうとすると、奥さんが
「にいちゃん、ちょっと待って」
 と言う。
 何だろうと思って待っていると、奥さんはビニール袋にビールやミカンを詰めだした。
「にいちゃん、これ持って帰って」
「いや、いいですよ。そんなことしないで下さい」
「忙しい時間にわざわざ来てもらったのに、手ぶらで帰らせるわけはいかん。ね、にいちゃん持って帰って」
 ぼくが困った顔をしていると、ご主人が口を挟んだ。
「こら、“にいちゃん”とか失礼やないか!」
「だって、“にいちゃん”やん。何と呼んだらいいんね」
 ご主人は、一呼吸置いて言った。
「“おじさん”と言いなさい」
「“おじさん”じゃないでしょ!」
「じゃあ、何と呼ぶんか」
「“にいちゃん”でしょうが」
「だから、それは失礼だと言いよるやないか。“おじさん”やろうが」
 このまま夫婦の論争につき合うのも面倒なので、
「じゃあ、もらっていきます。ありがとうございました」
 と言って、さっさとその家を出た。

 そのお客さんが今度店に来た時、果たしてぼくのことを何と呼ぶのだろうか。ぼくとしては、“にいちゃん”のほうがいいのだが。

1,
 一昨日、お客さんの家に行っている時に、スマホが鳴った。
 出てみると、信販会社からだった。
「〇〇信販ですけど、MSさんですか?」
「そうですけど何か?」
「保険の件でお電話差し上げたんですけど」

 これが家の中だったりすると、
「えっ、MS?違いますよ。こちらはしろげしんたです」
 と答えたり、20年前同様にイヤな客対応をするだろう。だが、さすがにお客さんの家ではそういうことをすることができない。
 しかたなく、
「すいませんが、今仕事中でお客さんの家にいるんですけど」
 と、普通の対応をしておいた。

 信販会社は、クレジットカードの申込みをする時に、個人情報をしっかり書かせるわけだから、当然こちらがどういう会社に勤めて、どういう仕事をしているのかを知っている。ということは、こちらの業務時間もわかるはずだ。
 電話がかかったのは、その業務時間中だったのだ。会員だからといって手当たり次第に電話をかけるのではなく、そのへんを考慮してほしいものである。
 自分たちも客商売だろう。もし業務中にそういう電話がかかったら、どんな気持ちになるかわかるはずだ。

2,
 保険といえば、昨年の誕生日以降、介護保険が給料引きではなくなった。
 誕生日前に、市の方から「そのうち年金で引き落とすから、当分の間、自分で払ってくれ」といった旨の連絡をもらった。さっそく手続きをし、既に数ヶ月分払っている。
 しかし、65歳を過ぎると、どうしてそれまでの約5倍の保険料を払わなければならないのだろう。
 高くなった光熱費も加わり、我が家の家計に大きく響いている。

2003年2月13日の日記です。

 最近、よくクレジット会社から電話がかかってくる。別に「金を払え」と言ってくるわけではない。「交通傷害保険に入ってくれ」と言うのだ。

 最初は女性からだった。
「こちら○○信販ですけど、MS(本名のイニシャル)さんのお宅ですか?」
「はい」
「MSさんでいらっしゃいますか?」
「はい」
「この間、ダイレクトメールでお知らせした交通傷害保険の件でお電話差し上げました」
「ダイレクトメール?見てないなあ」
「そうですか。よければご説明いたしますが、お時間を取らせてもらってよろしいでしょうか?」
「別にかまいませんよ」
 彼女は、マニュアルどおり保険の説明を始め、最後に「契約はお電話でもかまいませんが」と言う。
 その時ぼくは「考えさせて下さい」と言った。
「では、後日また電話させてもらいますので、ご検討下さいませ」
 と言って彼女は電話を切った。

 次もその女性からだった。
 前回と同じ内容だった。
「友人がやっている代理店で入っているので、今回は結構です」
 とぼくが言うと、
「そうですか。でも、こちらのほうもいい保険ですので、ぜひご検討下さいませ」
 と彼女は言う。
 ぼくは面倒になって、「はい」と言って電話を切った。

 次の休み、また電話が入った。
 例の女性からだった。
「あのう、この間電話させてもらったのですが、ご検討していただけたでしょうか」
 この間断ったので、もうかかってこないと思っていたのに、またか。
 ずいぶん熱心だ。というより、しつこい。
「いいえ。この間、お断りしたでしょう?」
「ダイレクトメールにもあるとおり、月々1350円と保険料も安く、保証も2千万円まで出る大変いい保険ですから、ぜひご検討下さい。電話で契約を受け付けますから」
「ぜひ検討してくれと言うなら、詳しい資料を送ってもらえませんか?」
「資料ですか?」
「そう。電話で簡単に契約出来る保険なんか信用できんでしょ?」
「わかりました。では、こちらのほうから資料を送らせていただきますから、よろしくお願いします」
 そう言って、彼女は電話を切った。

 さて、それから3日後。11日のことだった。
 午後9時頃に電話が入った。
「もしかしたら」という予感がして、ぼくは電話を取らなかった。
 家の者が出た。

(電話よ)
(誰?)
(〇〇信販から。「MSさんいますか」って)
(女の人?)
(いや、男の人)

 今度は男か。もううんざりだ。こうなったら、イヤな客を演じるしかない。

「はい、替わりました。MSです」
「あ、MSさんでいらっしゃいますか?」
「はいっ?」
「あのう、MSさんですか?」
「おかしな人ですねえ。あなたが『MSさんお願いします』と言ったから、ぼくが『MSです』と名乗って出たんでしょ。なのに『MSさんですか?』って確認する必要ないじゃないですか。ぼくが信用できないんですか」
 相手は面倒な客に捕まったと思ったのか、急に焦りだした。
「い、いえ、すみません。あ、あのう、前回DMをお送りした保険の件ですが、ご検討いただけましたでしょうか?」
「検討も何も、まだ資料が届いてないですよ」
「え?」
「前に電話で『資料送ってくれ』と言ったでしょうが。連絡行ってないんですか?」
「あ・・。し、しばらくお待ち下さい」

 しばらく待った。

「お待たせいたしました。すぐ資料のほうを送らせていただきますので」
「えーっ!? まだ送ってなかったんですか? 待ってたのに」
「す、すみません」
 男は泣きそうな声になった。
「早く送って下さい。待ってるんですから」
 そう言って、ぼくは電話を切った。

 資料が届いた頃、また電話がかかってくるだろうな。
 きっとまた「MSさんですか?」と言ってくるだろうから、今度は
「いいえ、しろげしんたです」
 と答えようか。

数学の解は、与えられた
枠内だけで考えるのではなく
その枠外に延長線を引くことで
求められることが多い。
もしかしたら、この人生も
自分の枠内だけではなく
枠外に延長線を引くことで
解が求められるのかもしれない。

この人生に時々『大嫌いな人』
というのが登場するのだが
もしかしたらその人は、自分の
枠内ではなく、枠外の延長線上に
ある人なのかもしれない。
そうであれば、枠内の問題と
その人を絡めて考えることで
一つの解が得られることになる。

さて、世間を騒がせている奴らだが
現在自分に与えられている
問題とどう絡んでいるのだろうか。
じっくり見つめていくことで
きっと解が得られるに違いない。

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